独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

神頼みをしたのなら

まずは初めに結論を。一口で言うと。まとめ。要旨。

困ったときの神頼みと申します。
神頼みなどと申しますと、何やら古臭くて、無責任というか軽薄というか、何かさぼってそうな努力不足の感がありますが、そうではないように思います。
わたくしは、神頼みを否定するものではありません。
まず第一に、完全なる対策を、自身で取りきることは不可能でございます。
完全対策できる!といえる方は、以下の質問に答えてほしく思います。「試験問題が大幅に変わる可能性はないのか?」と。
試験制度というのは、ときおり大きく変わるものでございます。制度が変われば、問題も大きく変わります。
まったく以前とは似ても似つかない試験問題となった例は、掃いて捨てるほどあるものでございます。
可能性として、試験問題が激変することがある以上は、神頼みの余地は大いにあるかと存じます。
また、第二の理由として、神頼みだけをしてまったく勉強をしないという人はそういないからでございます。
ある意味、剛毅というか図太い人は、そもそも試験というこましゃっくれたものとは縁がないことでありましょう。
だいたいにおいて、神頼みをする人というのは、相応の努力を払っているものでございます。
もちろん、努力不足や工夫の足りない人もおられるかと存じますが、すべての人がそうではないように考える次第でございます。
祈願して不安なりストレスが軽くなるのであれば、大いに神頼み結構であるかと存じます。
しかし、でございます。
いったん神頼みをしたのなら、その祈願について、疑ってはならないのでございます。
それは不遜な行為でございます。
頼みます、合格させてくださいと祈願したのに、次の日に受かるかどうか不安に思うなど、神さんを信心していない証でございます。
考えてもみますと、Aさんにコピーを頼んだが、しばらく経ってもコピーが出来てない。Aさんがしてくれるかどうか不安になったので、Bさんに頼んだと致しましょう。
これほどAさんにとって、失礼なことはありません。コピーすらできないと思われたわけですから。
また、Bさんにとってもいい迷惑でございます。忙しいのに余計なこと頼むな、といった塩梅でございます。
生身の人ですらこうなら、況や神さんをや、でございます。
自分で願っときながら、疑うというのは、大変に失礼かつ、不遜な行為でございます。
神さんからすれば、適えてくれる奴に頼めよ、という気分でありましょう。
人ですら嫌な気分になって、今後あなたのために何か好意的なことをしてくれなくなるでしょうから、その神さんはこれからもっと何もしてくれなくなるでしょう。
いったん神頼みをしたのなら、結果は、天に任せたわけですから、もうアレコレと成否を思わず、ただ、目の前のあることに尽力すべきであるかと存じます。
神頼みにかこつけて努力をするのが、神頼みのベストの用い方であるように思います。


神頼み後は

みんなとシェアする