| カテゴリー: 過去のススメ |
これは、もし・仮に、の話でございます。
もし、本試験がなかったなら、お勉強はどのようなものになるでしょうか。
きっと、全く緊張のないものになるかと存じます。
ギリギリッとした気の張りといいますか、テンションといいますか、そういったものは全く出てこないかと存じます。
やべえなあ、とかのよく口に出る台詞もでないことでありましょう。
もし、でございます。試験という選抜システムが無かったとしたら、どうでしょうか。
まあ、形式的な問題はあるでしょうがそれに答えれば、誰でも、何点であっても合格できてしまうとしたら、日々のお勉強は如何ばかりになりましょうか。
やってもやらずとも結果が同じであれば、まあ、やる気は出ないでしょう。
わたしたちは本試験というものを忌避し嫌がっておりますが、逆に、本試験があるからこそ、日々のお勉強にいい緊張と気の張りが生まれて来るわけでございます。
もし、Aという科目があったとして、それが無試験・無選抜で修了証書なりがもらえたと致しましょう。
しかし、手元に「A合格」という文言の印刷された紙切れがあったとしても、Aのそのものは10年経っても少しも上達していないでありましょう。
例えば、無試験で取れる簿記なんてものがありましても、ひとつも記帳が出来ないでしょうし、やってもミスばかりで余計に時間がかかるでしょうし、ちっとも財務諸表も読めないことでしょう。
確かに、試験勉強でありますから、試験用のくだらない知識を憶えなければなりません。
しかし、それらを補って余りある新知識や新たなる視点が得られるのが試験勉強でございます。
ストレスやプレッシャーと言う力があるからこそ、わたくしたちは勉強して新たな知識を得、新しく変化していくのでございます。
勉強をせざるを得ないという引力が働くからこそ、新たな力が付くわけでございます。
その引力が弱ければ弱い力しか付かないでしょうし、ゼロならゼロでありましょう。
プレッシャーとストレスの大元ではあるけれども、だからこそ成長の源泉でもあるのが本試験でございます。
お勉強のイヤイヤ感は、逆に言えば得られるものの大きさを示しているものでございます。
「あーめんどうだ!」とか、「したくねえ!」と叫びたくなるものほど、後々の果実は多いものでございます。
また、お勉強には、明白な期限が切られております。
永遠かつ無限にそうした状態が続くわけでもないのでございます。
資格の取得にかかる時間は、一部の最難関の試験を除けば、数ヶ月程度の比較的短期間でございます。うまく時間をやりくりすれば捻出できる時間数でございます。
終わりがない芸術に従事する事を考えれば、どれ程負担が少ないかお分かりいただけるのではないかと存じます。
試験といいますのは嫌なものではありますが、良薬口に苦しと申します。
ぐだぐだ、ぐじぐじしたところで試験の現実は変わりません。
ですから、試験そのものの利点を考えて、現実の解釈を深めてくださればと存じます。
上手に
2009年12月5日 10:58 AM
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