パソコンの前で捗る勉強は語学くらい。パソコンを前にして、気が散った状態で勉強しても、ほとんど実にならない。
| カテゴリー: 勉強ワンポイントアドバイス |
パソコンがあると、捗る種類の勉強もあります。たとえば、語学です。
インターネットのおかげで、数世代前とは比較にならないほど、語学の学習環境は整いました。ネットワークに繋がったパソコンの前に座れば、「テキスト」「音声」「作文機会」「情報」が、いくらでも手に入ります。
テクノロジーの最たる例は、グーグル翻訳の「マウスオーバー翻訳」です。
当該ウェブサービスを使えば、マウスをのっけるだけで、単語の意味がわかります。(現在、IEのブラウザのみ利用可。)
詳細な意味が知りたければ、反転表示後「検索」をクリックすれば、辞書サイトに到達できます。辞書に何度も手を伸ばし、辞書を引き引き読んでいた時代とは、隔絶する思いです。
ヒアリングも、かつては、足元を見られた割高・値段のカセットテープかCDを買って、ラジカセの前に座らないと、英語を聞くことができませんでした。
今やようつべにアクセスすれば、いくらでもネイティブのニュースやインタビュー、会話を聞くことができます。
このように、語学の勉強は、絶対的にパソコンの前の方が捗ります。旧態依然の机の前のそれよりも、はるかに内容のあるものとなるでしょう。
しかし、です。それ以外の種類の勉強はどうか、という次第なのです。
パソコンを前にしてテキストを開いてみたり、問題集を解いてみたりしたことのある人は、気が散って気が散って気が散って、少しも「今やろうとしていること」に、集中ができない経験をするように思います。
数分も経てば、マウスをいじっていたり、キーボードで検索語句を入力していたり、勉強とは別のことをしていたりするものです。
そう、勉強の基本的行為である、何かをじっくり読んだり、何かを考えたり、何かを憶えたり、推敲したり、理解しようとしたりするのは、パソコンの前だと実に不適当な作業なのです。
わたしは、勉強の大半の作業は、「パソコンの前ではできない」と踏んでおくべきだと、強く主張したく存じます。
そして、今後の世代のためにも、「パソコンの前では勉強できない」と教えておくべきでしょう。
逆を言えば、パソコンの前で可能な勉強はごく限られている、たとえば、調べ学習とか、データの収集や下調査とか、高度な数学的検算とか、情報処理の勉強くらいしかないと、教えておくべきかと思います。
パソコンが適した勉強など、先の語学と含めて「そのくらい」でして、五指に足りないように考えます。
パソコン、特に、インターネットというのは、新しいテクノロジーです。
新しいテクノロジーの出現は、功罪(メリット・デメリット、長所・短所、得手・不得手、よい・だめ、可能・不可能)が検証される前に、生活の中に“自然”に取り込まれていきます。
“ものすごく自然に生活に溶け込んでいる”ために、当該テクノロジーには適さない作業を、無批判・無思考で、行っている場合があるのです。
「パソコンやネットは万能ではない。」
「パソコンは作業をするところであり、勉強するところではない。」
「パソコンでは、ある種の勉強しか効果を発揮しない。ある種の勉強では、悪影響すらある。」
これらのことを知っておくだけでも、今後の数年・数十年では、当該当事者に、大きな「違い」が生じることでしょう。
もっと強く言えば、「パソコンの前で勉強はしない」「パソコンの前での勉強は、勉強をしたことにならない」「パソコンの前で勉強しても、やった気にならない」くらいに、肝に銘じていても、よろしいかと思います。
勉強の諸作業を、パソコンの前でのそれと机の前でのそれとの「実感の度合い」を確かめてくださればと存じます。ご納得いただけるかと思います。
改めて、ほとんどの勉強は、パソコンの前ではできないか、やっても効果が薄いか、実質的にはやってない・単なる時間と労力の浪費となると踏んでおくべきです。
2013年1月30日 1:44 PM
★みんなとシェアする