| カテゴリー: 過去のススメ |
『31. フェレンギ人の母親をからかうな。』
どんなに温厚な人でも、急所というものがあって、そこを突かれると激昂する。フェレンギ人にとっては、母親が急所なのであろう。
温厚な人ほど、いつまでも許さず、恨みを持ち続ける。
どっちかといえば、すぐにかっとなる人の方が、恨みを持たないものである。
また、普段冷静で計算高い人ほど、ひとたび感情的になったときは、手が付けられなくなる。あとあとの報復も、酷いことになる。
人によっては、冗談で済まされないことがある。よくよく肝に銘じておくべきである。
済まされないことをしてしまえば、ほぼ、和解は不可能である。
損害は金銭で購えるけれども、感情はそうは行かない。
そして、その地雷とも言うべきところは、どこにあるのかわからない。
言葉使いには気を付けるように言われなくなって久しい。
言論の自由にどっぷりと浸かっているわたしたちは、言葉の恐ろしさをつい忘れてしまう。
一言が命取りになることを、よくよく踏まえておくべきであろう。
言葉が軽くなって久しいが、言葉ほど危ういものはない。
隣で寝ている人の顔を見れば、つい言ったあの一言でそうなっているのである。
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『32. 自分が売るものには気を付けろ。時として顧客の希望をかなえてしまうからだ。』
ビジネス書・ビジネス雑誌を開けば、顧客満足という4文字が出ない日はない。
が、逆にいえば、顧客が不満足でなければ、商売は成り立たないわけでもある。
このあたりの塩梅は実に難しい。完全な商品を提供してしまえば、それが壊れるまでは、売れなくなってしまうからである。
満たされれば、買わなくなる。だから、継続して売るには、満たしてはならないわけだが、そこそこの欲求を満たさないと、次に買ってもらえなくなる。パラドクスなのである。
徒然草に、職人の話が出ている。同趣旨なのだが、完全に作るのはよくないことで、どこか不完全で未完成なところを作っておくのが、真の名人であるといっている。
フェレンギ人風に言うなら、完全なものを作ってしまえば、顧客は完全に満足してしまうので、次の注文がなくなってしまう。
当然、作る職人の側からすれば、ご飯の食い上げになる。仕事がなくなる。仕事がなければ、技を振るう機会も減る。技術も衰えてしまい、結局、作る者がいなくなるか、作る物が悪くなる。
故に、どこかに未完成なところを作っておいて、次の仕事に繋げる、といった次第である。
ふと思ったが、もの凄くおいしいものを食べると、逆にその店から遠のくことはないだろうか?
最上のサービスと最高の商品が、自分の首を絞める。つくづく、商売は難しい。
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『33. 上役におべっかを使ってもフトコロは痛まない。』
おべっかをいっても、何かが減るわけではない。とうぜん、出銭もない。
ノーコストで、好印象が買えるのである。使わない手はない。
殺し文句という言葉がある。
男性なら、頼りがいがある、仕事ができる、目がちがう、などなどで、男性ならそう言われたら悪い気はしない。
女性なら、目がきれい、髪がきれい、肌がきれい、首筋が、身体の線がきれいなどの言葉がそうであろうか。とりあえずきれいと言っておけば、事は済む。
キョウハイチダント、オキレイデスネ。
これらの言葉をかけても、こちらには何の損はない。
よくよく考えれば、全く無いのである。
ならば、どんどん言うべきであって、誰もが得をするし、誰も損をしない。こんないいことはないのである。
なんだかこびていたり、おべんちゃらを言うのが非難されるときもあるが、それは、あからさまに嘘が混じっているときである。
うまく褒めれば、誰も攻めやしない。男性なら、ネクタイを褒めておけばいいし、女性なら、スカーフを褒めておけばよい。
先に、言葉の危険性に言及したが、ここでは、一転して、言葉のプラス作用について語っている。
当該雑文を読んだ人は、早速、実践をして欲しい。
昔、ステキナクツデスネ、と言われたが、その靴は980円の安物であったが、嬉しかったわたしである。
980円でも心浮き立つのだから、靴にお金をかける人なら、喜びもひとしおであろう。
ステキナカミドメデスネ、ステキナメガネデスネ、シャレタパソコンデスネ、サイシンノケイタイデスカ、フンイキノイイカバンデスネ、ツカイヤスソウナ○○デスネ。
人を褒められないなら、物でも褒めよう^^
逆に、物が褒められるとき、先の例でいえば、ネクタイやスカーフが褒められたなら、あなた自身には褒めるところがないというわけであるが、これは、少し被害妄想的で、穿ちすぎな物の見方であろう。
2010年10月15日 12:11 AM
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