独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

フェレンギ人のバイブル10〜12

まずは初めに結論を。一口で言うと。まとめ。要旨。

『10. 死んだ顧客は、生きている奴ほど買い物しない。』
フェレンギ人は道徳や死生観を語らない。
死んだ顧客とは、生死の意味での「死」ではなく、商売の意味での「死」である。
つまり、お金を落とさない、ほとんど来店しない、ほぼ一見の客のことをいう。
生きている奴とは、まさに逆の意味で、週に何度も来店し、お金を落としていく客のことである。
フェレンギ人は、買いもしない死んだ顧客に顧客層を絞らぬよう、注意を述べている。
商売において、顧客層の絞込みは実に重要である。
絞込みを間違うと商売・店はひどく傾くし、とてもとんちんかんなことになってしまう。
どの客層に絞っているか、その客層の絞込みでよいのか、どういう背景があったからその客層なのか、その客層に絞ることは正しいことなのか(他の客層は離れないのか)、よくよく考えるべきである。
たとえば、昨今では、観光地が外国人の誘致に一生懸命だが、呼び込みに一生懸命になった結果、従来の顧客層である日本人が離れてしまった温泉地・名所旧跡は、数限りなくある。
これこそ、まさに生きた顧客と、死んだ・または早晩に死に絶える顧客を取り違えた結果であろう。
最もダメというか、失敗しやすいのは、玉虫色の、全方位型の絞込みである。
それが可能なのは、巨大な売り場面積を誇り、膨大な商品を在庫として抱える体力があり、商品を管理できる情報システムを持った組織である。できる人・組織は、ほとんど数が限られる。
やはり、中小の資本では、顧客層を絞らざるを得ないもの。
商売においては、目の前の顧客が生きているのか、死んでいるのかを量った上で、ほんとうに生きた人たちに向かって門戸を開くべきである。
いくら大切に見える人でも・おいしく見える人でも、死んでいる人・死んだ人・死ぬ人だと買い物をしない。
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『11. ラチナム以外にも輝いて見えるものもある。』
ラチナム (latinum) とは、フェレンギ人が通貨として用いている物質(液体金属)のこと。
要するに、お金以外にも輝いて見えるものがある、お金だけがすべてではない、ということ。
お金はすべてではないが、お金は多くを担うものである。
お金があるから、わたしたちの社会システムは動いている。
月給とは我慢料と言う。お金がもらえるから我慢ができる。
お金があるから、流通システムは円滑に働く。
心の問題の解決も、多くはお金による。謝罪だけでは気が済まない生き物が我々である。
土下座をされたら赦せるのか?ってなわけ。
このように、お金がすべてではないが、お金があるから、そして、お金でしか解決できないのが、我々の社会の大半である。
また、フェレンギ人は、お金がすべてではない、などと言う人には要注意だと、言っているのであろう。
悪い人は、お金以外のものを、あちこちから照らしたり蛍光塗料を塗ったりして輝かせ見せるだろう。
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『12. 一度売れたものは、二度売れる。』
逆に言えば、1度も売れないものは、2個も3個も売れない、ということになる。
スター・アイドル・芸人・芸能人に、当てはまるように思える。
一度売り出しても売れなかった者、プッシュをされたが上にいけなかった者は、得てして、それ以後はダメである。
逆に、一度でも、時代の旋風なり注目を浴びた者なら、ちょこちょこと顔を出すことがある。
わたしの記憶では、「見栄晴」である。何の芸もないが、欽ちゃんファミリーで顔が売れたのか、今でもちょくちょく、雑誌等で顔を見る。一度売れたら二度三度売れるわけだ。
商品についても、この言は実によく当を得ているように思う。
一度も売れないもので棚をいっぱいにするな。
一度も売れないものを売ろうとするな。買わせるな。
二度三度売れるもので棚を占めよ。欲しがらせよ。欲しがらせることが売ることだ、ということだろうか?
また、こうともいえる。
一度売った商品は、それを買った人にもう一度買ってもらえる可能性が高い。
ポテチを買った人は、他のジャガイモ菓子を買うよりかは、やはり、馴染みとなったポテチを買うであろう。
人は習慣の生き物だから、一度買ったものをもう一度買う可能性は高い。
よほどのクズ品でない限り、買い続ける可能性がある。
自身のビールやジュースの買い方を振り返ってみれば、フェレンギ人のいうことが当っているのがわかる。


今回は3つとも

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