| カテゴリー: 過去のススメ |
基本的にお勉強といいますのは、同じようなものを相手に、同じような事を繰り返す作業でございます。
そこには磨り減りに減った目新しさしかないものでございます。
考えてみればお勉強は、読む、書く、解く、憶えるという主に4つの作業しかありません。
そら、4つしかないものを毎日毎日何ヶ月もやって行けば、飽きて当然でございます。
飽きると言いますのは人間の自然現象でありますから、仕方がないのでございます。
ですから、無理にこの「飽き」を押さえつけていきますと、どんどん奥のほうに入って行って、機会があればドカンと爆発、もうやってらんねえとお勉強の一時中断に相なると言うわけでございます。
そうなるとこれまでの努力と節制と克己はすべて無駄になってしまいます。
ですから、飽きてきたら(嗚呼これは身体からのサインだな)程度に思って、お勉強の強度を下げたり量を減らしたりして、なだめすかしてお勉強を続けるしかないわけでございます。
しかし、毎度毎度作戦が成功するわけではありませんし、本当にやる気がねえなあと机に両肘突いて物思いに耽るときもありましょう。
まあ、取りあえずのやる気はある。なぜなら机の前に座っているから。やる気はあることにはあるが、燃焼していない。さて、どうしよう、というわけでございます。
当たり前の事を申し上げたく存じます。
今は調子がよくないね、と考えることでございます。
皆様お気づきかと存じますが、悪くなったときと言うのは得てして悪くなるものでありまして、いくらそこから発破をかけても、ちょっとだけちょびっとだけ上向きますが、持ちこたえられずにずるずる低下を描くものでございます。
悪くなるときは、どんだけじたばたしようとも悪くなっていくものでございます。行き着くところまで行き着くのが悪くなることでございます。
よくはないという現実を受け入れることが肝要であるかと存じます。
よくないときなのですから、やったことはそれほど血肉となりませんし、理解も記憶も以前のように功を奏すわけではありません。
いつもなら10ページくらい進むものでも数ページでぼんやりとする事も当然ありましょう。
不調は不調、よくないときはよくない事をまずは意識して、そうした、低アイドリング状態・低回転数状態でもできる事を探すべきかと存じます。
例えば、ゆっくり時間をかけて苦手箇所を読み直すとか、作業の強度の低い暗記事項・記憶事項の確認とかでございます。
バリバリとできないなら、ゆるゆるとできることを手がければ宜しいかと存じます。
また、不調・よくないときも一時的なことでありますから、調子が上向いたときにどんとやって行けばよいだけでございます。
やるべきことにはやるべき時があると仮定いたしますと、テンションが高くやる気に溢れているときではし難い地味な作業こそ、それをすべき時であるかと存じます。
独学というのは自身の裁量の余地が大きい勉強方法でございます。ならば、自身の体調や調子に合わせた勉強も可能でございます。
自分が勉強するのですから、自分に合わせてやるだけのお話なのでございます。
不調・よくないも
2009年12月18日 9:52 PM
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