| カテゴリー: 過去のススメ |
人間、二度手間を苦手とするものでございます。
同じ100mでも、忘れ物を取りに帰る100mは無限の如くに感じられ、足が重たくなるものでございます。
重複を如何に避けるか、それが知恵のひとつであると考える次第でございます。
お勉強におきましても、同様の事情であるかと存じます。
お勉強そのものはしんどくないものでございます。しんどいのは、重複なのでございます。
できないのならば、そんなにしんどくはないのでございます。
しかし、できたはずのものができなくなっていたり、憶えたはずのものを忘れていたりしていると、暴風雨のように徒労感が吹き荒れるのでございます。
また、成績についても、同じようなことがいえるかと存じます。
順位が上がったり下がったり、実力が伸びたり落ちたりしている状態が、実は1番かったるいのでございます。
恋の道なら、一喜一憂もむべなるかな、スパイスの如く感じられて心地よいときもありましょうが、基本、一喜一憂というのは、しんどいものでございます。
「1喜」がなくて、淡々と日常的なほうが、気が落ち着く分、楽であると申せましょう。
とはいえ、できなくなったり忘れたのであれば、もう一度やり直さなければならないのがお勉強の常でございます。
さて、では、この手に余る徒労感を如何せんというわけでございます。
簡単にいいますと、実力などない!と考えることでございます。
暴論かと思われますが、どのみちやらなければならないのなら、これまでやってきたことなど全て意味はなかったと、いったんおじゃんにするのが賢明であるかと存じます。
「やる」ことが成功裡に終わるかどうかは、これまでやってきたこととは関係ありません。
ならば、これまでやってきたことなど無いものとして、再び接していった方が、大いに気が楽なのでございます。
あんなにやったのに忘れてる、とか、あーあーなどとため息をつくよりかは、「何にも無い!」と思ってやり直しに取り掛かるほうが、エンジンのかかり方が違ってくるかと思います。
ときに、人は自分の知らず知らずのうちに、無用の荷物を背負い込んでいるものでございます。
苦難にめげず、あきらめないでどうせ最後までやるのですから、重たい荷物は降ろして進むのがよろしいかと存じます。
正直申しますと、中途半端な実力など、あって無きに等しいものでございます。
できかけのカレーなどうまくとも何ともありません。炊きかけのご飯などこわくて食べられません。
できない・忘れたというのは、中途半端な実力の証拠。
そんな、古わらじのようなものに執着せず、さっぱり捨ててしまって、新しい気持ちで取り組むのが賢明であるかと存じます。
合格できる力のみが
2009年6月19日 9:34 AM
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