| カテゴリー: 過去のススメ |
空手形・空証文は世の習いでございます。
誰も見たことのない将来を、まるで、見てきたかのように語る人がいるものでございます。
ころっと騙されて何度も痛い目にあってきたかと存じます。
隣で寝ている人の顔を見れば、調子のいいことをいっていたなあとため息をつくかと存じます。
とはいえ、ため息は命を削るカンナかな、と申します。
はあとため息つくよりも、痛い目にあったことを糧に前向きに取り組んで生きたいものでございます。
済んだことは済んだことでございます。フクスイボン。
さて、お勉強についてでございます。
お勉強で最も厄介なのは、カラ自信でございます。
何の裏づけもないのに、出来た風でいる自信でございます。
自信を持てと何につけてもいわれますが、その言はちゃんと練習やら特訓やら演習やらを済ませた後の言でございます。
仕事をしてもいない奴から、「オツカレサマデシタ」と無機質に言われることほど、頭がかあっとすることはありません。
一生懸命やってくれた子からそういわれれば、こちらも心からお疲れ様ということができるのでございます。
カラお疲れほど、人間関係を損ねるものはないのでございます。いうなれば、「カラ」ほど当の本人にダメージや不評を与えるものはないのでございます。
さて、お勉強のカラ自信についててでございます。
何もしっかりしたお勉強もないのに、できるできると思い込んでも、本試験で無残に打ち負かされるものでございます。
試験というのは、努力が如実に顔を現します。
やっていない人がやった人に勝つことは、まずありません。
ほんとうに、運で勝てる人というのは居ないことはありませんが、合格者の1%は切ってございます。ごくごく少数なのでございます。
そんな僥倖を当てにして落ちてしまうよりも、確実で堅実な努力を払った方が時間労力手間努力が引き合うものでございます。
カラ自信で試験に臨むよりかは、自信の無い不安定な状態のほうが、ひとつひとつに手を抜かず丹念に検討するでしょうから点が取れて、合格が自ずから近づくかと存じます。
とはいえ、お勉強には、カラ自信と良くは似ているのですが、その性質が全く異なるふたつのものがございます。
それは、根拠のない自信と意味不明の勇気でございます。
確かな根拠はないのに、自信があるときがございます。
自分なりのやり方を見出したり編み出したり、(こうしたらうまくいくんでないかい)といったヒントやアイデアを発見して、自己流の工夫が当たりますと、いけるんじゃないか?!という根拠のない自信に包まれるものでございます。
そして、この根拠のない自信は、遺憾なく本試験でも発揮されるものでございます。
意味不明の勇気というのは、まさにその言の通り、当の本人でさえどうしてそうなのかわからないけれども、かかって参られいという剣豪の心境になっている状態になっていることを示すものでございます。
意味不明の勇気は、脂が乗り切った状態とも行っていいでしょう、学習量が一定の量を超えたときに起きる状態であります。
こうしたふたつは、お勉強におきましては、あって損はございません。いや、あったほうが、日々のお勉強から本試験まで資するものがあるかと存じます。
「カラ」ではない、根拠のない自信と意味不明の勇気は、わたくしたちに良い影響を与えるものであることにご留意くださればと存じます。
自己暗示より
2009年5月12日 9:53 AM
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