| カテゴリー: 過去のススメ |
先日のススメでは、できるようになるまで訓練するように申し上げました。
しかし、ここに注意しなければならないことがございます。
それは、太陽のように、暖かく見守ることでございます。
やってはいけないのは、鬼教官のように峻厳な態度で当たってはいけないのでございます。
北風のように、びゅうびゅう寒い風を送ってもコートが取れないのと同様の理でございます。
馬に鞭ばかりをくれても、走らなくなるのと同様の話でございます。
もちろんのこと、厳しく当たることも大切なのでございます。
だらだら、ぐだぐだ。
のろのろ、とろとろ。
怠惰と惰性の間を行きつ戻りつして、これでは・このままではダメになると思う下降線を描いているときには、厳しい「活」が効いて来るのでございます。
生温い現状から抜け出すには、すべての着物を脱ぎ捨て、あえて寒中に入っていかなければいけないこともあるでしょう。
そうした転機の時には、峻厳に己を律していかなければいけないのでございます。
しかしながら、わたくしたちは、そんなのに厳しい目に毎日毎回遭うとイヤンになる凡人でございます。
ときどきであるから、作用と効能があるのでございます。
何度も続けば、いやになるものでございます。
いやになれば、お勉強から遠ざかってしまうのは、これまた自然の理なのでございます。
試験勉強は、継続こそがポイントでございます。継続さえできれば、誰でもある程度の実力までは到達できてしまうのでございます。
わたくしたちは、「続ける」という観点を忘れてはいけないのでございます。
学校時分には、厳しい先生という方は居られました。
しかし、どこか暖かいところ、楽しいところ、面白いところがあったように思います。
100%に近い厳しさなどは、どこか人気の居ない山の中の修行で求められるものでございます。
普通に生きているわたくしたちには、100%の厳しさなど要求されていないのでございます。
殊、試験勉強というのは、そのほとんどが「できない」の連続でございます。
できることなどは、過去問演習後しばらくたって後に、実感していくものでございます。
「できない」がほとんどでございます。
それなのに、厳しい仕打ちをしたらば、お勉強がどうなるかは想像に難くないことでありましょう。
自分の出来なさ加減を、厳しくも暖かく見守ることでございます。
失笑するのもようございます。
うひひ、くひひと己のできなさ加減を笑い飛ばすのもようございましょう。
こんなことができなくてどうするんだ、という発奮が2割。
うひひ、まだできへんなあ、生暖かく見守るのが8割。
こうした割合で見ていけば、お勉強は続いていくかと存じます。
厳しさの中の優しさ、寒中の暖こそが、万事に渡るコツであると存じます。
こたつで
2008年11月26日 8:44 AM
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