| カテゴリー: 過去のススメ |
むかしの子供時代のことを考えてほしく存じます。
小さいころというのは、いつもひとつのことしかできませんでした。
テレビを見るならテレビを見るだけ、絵本を読むなら絵本、ご飯を食べるならご飯、買ってほしいものをねだるときはねだるだけであったかと存じます。
長ずるにいろいろなことを一時にできるようになります。
テレビを見ながらチラシを読んだり、パソコンで報告書を書きつつお酒を飲んだり、妻と接しつつ新人の女の子に思いを馳せたり、旦那のワイシャツにアイロンをかけながら新任の店長に想ってみたりと、あれやこれや、三面六臂の作業ができるようになるのでございます。
それはそれで、成長の証であるといえましょう。
日の丸弁当より幕の内のほうがおいしくいただけるように、一定の時間内で多くのことができるようになったほうがようございましょう。
しかし、難しい問題が発生したときは、この一時多方面作戦というのは、あまり功を奏さないのでございます。
ときには子供時分のように、ひとつの問題について、その他はかなぐり捨てて臨むことも求められているのでございます。
これはお勉強だけに限った問題ではないのでございます。
わたくしたちは、お勉強以外の重要な問題を抱えております。
生活上の問題、家庭上の問題、仕事上の問題、経済問題、健康問題などなど、挙げれば列挙の暇がないほどでございます。
まあ、たいがいのことは、解決可能でございます。しかし、まったく解決の糸口やら手口やら、着手やら実行に躊躇してしまう難しい問題が生じるものでございます。
そういうときは、自分の力を分散させず、くれぐれも、それぞれに1点集中して突破するようご助言する次第でございます。
基本的に、何か問題を抱えてのお勉強というのは、作業の負担は高いうえにほとんど功を奏しません。
難しい問題を前に自分の力を分散させてしまうと、その問題の解決は元より、テキストはシッカリ読めないし、問題集は1問1問ごとに深い演習ができません。
結局、中途半端にしかお勉強できないものでございます。
考えてみれば明白なのですが、心のエネルギーが難しい問題に取られているので、お勉強まで回らないのでございます。
いくらなんでも、ガス欠でお勉強はできはしません。
ですから、じっくり目の前の問題と格闘し、ある程度の解決をつけることが、最善のお勉強になっているのでございます。
たとえば、時間に委ねるまで処置を進める、問題発展時の最悪の自体をシュミレーションして手当てをする、自分に与える影響の度合い、解決の手段・方法、求められているものを模索する、などなどでございます。
難しい問題でも、雑事(お勉強のことを含みます。)を捨てて、一新に専念すれば妙手を思いつくものでございます。
こうして難しい問題を処理してから、すっきりしてお勉強に舞い戻ればよいのでございます。
答えは自分の中にあると申しますが、なんてことはない、子供のときに戻って目の前の事だけに集中するやり方をもう一度とればよいのでございます。
精一杯を
2008年2月19日 12:10 PM
★みんなとシェアする