| カテゴリー: 過去のススメ |
世の中には、あること・ないことが語られているのでございます。
情報は錯綜して、何が正しいのやらサッパリ見当がつかないことが多いのでございます。
情報と聞くときわたくしたちは、何かイイモノを念頭に浮かべるのですが、昨今では単に邪魔するものではないか、と思うようになったのでございます。
受験回数という数字がございます。この情報、役に立ちそうで役に立たないのでございます。
〇〇試験に合格したよーと聞いた時は、まず第一に「おめでとう」ということでございましょう。
「何回で?」とは面と向かって聞きにくいものでございます。水を差すようでございますし、己の心中の深いところに根ざすものを刺激しそうで怖いものでございます。
結局、生きた情報を入手しそこね、雑誌等のグラフ化され、データ化された数字を頼らざるを得なくなるのでございます。
しかし、平均の罠でございます。比較となるものがしっくり来ません。グラフを見れば、アーソデスカとしか思えません。考えようがない。
さきほどの生きた人の生きた情報なら、この人のこの生活環境などからアレコレ考えることができます。しかし、グラフだけなら考えようがない。全く背景がつかめない。
1回だと頭よく、2回だと普通で、3回だとバカ、えてして短絡的な考えになってしまうのでございます。正しいか正しくないかは横に置かれ、既成事実となっている数字がひとり歩きするものでございます。
情報に振り動かされない、やり方をずらさないようにすべきでございます。
馬鹿げた事を見たために、試験勉強がイヤになったりするものでございます。
情報の厄介な点は、発信者の問題がございます。そして、発信媒介の問題もあるのでございます。
せめて、受験勉強中は、情報は制限すべしと申し上げます。無駄なこと、意味のないことで、惑わされないようご配慮を申し上げます。
受かるまでやった人が
2007年6月14日 11:45 AM
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