『40. たとえ旅行先であろうとも儲けられるなら、儲けろ。』
いつでも儲けについては、鼻を利かせておく。あるところにあるものを、あるところにもっていくだけで、儲けることはできる。
たとえば、立ち飲みという酒飲所は、人口がある程度見込める都市部なら、うまくいく萌芽がある。
酒飲みなら、独りで飲む酒がいかに身体に悪いかを、よくよく知っているからだ。
また、黙って飲む酒が、どれほどまずいかを知っているからだ。
話の弾まない、通じない配偶者と、誰が飲みたがろう。
そして、飲酒量である。酒飲みはあるだけ飲むので、家で独りで飲むと、酒量は跳ね上がるのである。
身体にもの凄く悪いし、次の日にも障る。
居酒屋というのは集団で行くものなのだが、常に集団で飲めるわけでもないし、気兼ねがする。
独りで行って独りで飲める飲酒所というのは、そうないのである。
昔は酒屋が立ち飲みどころとして機能していたが、いまでは、飲ましてくれる酒屋などない。
だからこそ、潜在的な需要は高いように思われる。以前、どんな飲食店が入っても撤退していた店舗が、立ち飲みになるや、順調に客足が伸びている。
ま、以上は立ち飲みの店の話だが、これだけに限らない。商売の種は、いつも自分とは別のところにある。
旅に出る、旅行に行く、出張の際は、その土地の風俗をよくよく観察してみることである。1?2つは商売の種はある。
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『41. 金はものを言う。しかし金を沢山持つことは、それ以上の効果がある。』
お金をたくさんもったことがないので、よくわからない。
しかし、逆はよくわかる。
なんともいうことを聞いてしまうのは、貧乏人よりかは、お金持ちの人である。
色が白いのは七難隠すというけれども、お金にも、同じような機能があるように思われてならない。(目くらまし、ともいう。)
贈り物をくれる人は、何ともいい感じがするし、昔お小遣いをくれたおじは、今でもいい人にしか見える。
こざっぱりして清潔な服装をした人は、何となく安心できる。
着古したジャンパーしか着てない競馬場にいそうな人は、何とも信用できない。
お金も持っていそうな人の意見は、何でも無批判に受けれいてしまいそうになる。
お金というものの性質と、お金の使い方に通じよと、フェレンギ人は言っているように思われる。
逆を言えば、お金をそういう風に使ってくる人には要注意ということだ。みすぼらしい詐欺師はいない。
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『42. 利益を得ることが明白であるときにのみ、話し合え。』
素人は、空理空論が好きである。いや、実体験がないから、空理空論となる。
いやいや、実際にやってみるのが怖いから、空理空論となる。
怖いから、実体験が・経験が積み上がらない。
だから、空理と空論とが、ぐるぐると巡りめくることとなる。
玄人は、実務を語るという。物を語るという。
抽象的なことは少ししか喋らない。
売り場では何がなく、何がよく出て、何が起きているかを語る。取引先の雰囲気、営業マンの話し方を語り、車の乗り方を見る。
玄人ほど、現実的で事物的である。
言い方が抽象的過ぎるのでいい直すと、何が不足しているか、何が多いのかを語る。何を持っていくのかを考える。
商売というのは、基本的にそれらである。
フェレンギ人は、会議のための会議、空理のための空理に対して、強く警鐘を鳴らす。
経営学や経済学で商売は動かない。それらの学は結果である。
動くのなら、大学教授やコンサルタントだけが経営者となることとなる。しかし、世の企業を見れば、経営者・経営陣のなかで彼らの名を見ることは稀である。
話し合いで商売ができるわけでなし。
利益が出ることを、咬み出だすように、身をもって知ってから、話し合いが始まるのである。
話し合って利益が生まれるわけではない。逆。
2010年11月5日 9:49 AM
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