試験勉強の悲壮感など、実にランクの低いものなので、発散させない。自他ともに邪魔で無用である。くだらない“ぐじぐじ”を考えてるから、うまくいかない。
| カテゴリー: 勉強ワンポイントアドバイス | Tags: ぐじぐじ, 勉強
小学生や中学生ではないのですから、勉強ごときで悲壮感に浸るのはやめましょう、という旨の雑文でございます。
お勉強というのは、しんどいしめんどくさいものではあります。
とはいえ、勉強したことというのは、必ず「実る」ときがやってきます。
将来的に、何らかの判断材料になったり、優位な選択肢になったり、信用になったりと、だいたい「プラス」をもたらすものでございます。
100年兵を養うは一朝のため、なあんて大袈裟には言いません。
勉強とは、将来のある「一なんたら」のために行うことであり、当該「一なんたら」は、全て自分に返ってくるものでございます。
ぶっちゃけて言うなら、「すべては自分のための勉強」なのであります。
周りの者からすれば、(あんたが自分のために、それも好きでやってることなんだから、てめえの苦労なんて知ったこっちゃないよ)てな、塩梅なのでございます。
「てめえの問題で、いちいち暗いオーラを出すんじゃねえよ」と、江戸っ子のさまぁ~ず。の大竹なら突っ込むことでしょう。
もっと、ぶっちゃけると、「たかだか試験ごときで、ぐじぐじするんじゃねえよ」であります。
「試験を裁量できない自分の能無しぶりを、自分から発散するんじゃねえよ」とも、突っ込まれることでしょう。
そういう心の姿勢も、1回はいいでしょう。
(オレは、わたしは、こんなにがんばってるのにな~)と、1回くらいなら、自分を慰めるのはよいのです。どこかで、緊張感を緩める必要はあるからです。
酒の肴にはぴったりです。
しかし、四六時中、そんなことを考えるのは、うっとおしいの極みです。
頭と心にカビが生えるとはまさにこのことで、本当に無用の思い為しでございます。
もっと言うと、そんなこと考えてるから伸びないんだろう、他のライバルはそういうことを考える時間があれば過去問をチェックしてるぞ、てな塩梅でございます。
無用なことをするから、お勉強が余計にめんどくさくなって、やることの負担が減らないのでございます。
勉強の悲壮感など、一掃していても、支障はないように存じます。
悲壮感に浸るくらいなら、先も言いましたが、テキストか問題集、過去問に手を伸ばしましょう。
手が伸びないなら、「どうしたら、もっとうまくいくか」という風に、自分のやり方を点検する『思索』に沈む方が、よっぽど健康的でございます。
2013年4月5日 11:22 AM
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