| カテゴリー: 過去のススメ |
大切なことは、できるようになるまで練習することでございます。
練習して繰り返して、できるようになってこそ、その作業は完結するのでございます。
それを途中で諦めてしまっては、元の木阿弥になるばかりでございます。
手がけたならば、できるようになるまで続けてみることでございます。
しかし、要注意の事項がございます。
それは、一時に多くのことをしないことでございます。
できないこと、苦手なことは、まずは細分化して進めていくのが大切でございます。
あたかも、嫌いな食べ物を少しずつ切り分けて、ちょっぴりわずかずつ頂く如しでございます。ふな寿司も、少しずつなら抵抗のある方でも食べられるものでございます。
嫌いなものを丸ごと食べろといわれてもできない話でございます。それと同様の理なのでございます。
憶えられないと言う方がございます。
そんなことはありません。
合格者数の人は憶えられたのでありますし、ぎりぎりのところで涙を呑んだ潜在的な合格者の数を含めれば、更に多数の方が憶えることができたのでございます。
それでは、そうした人たちは、尋常ならざる記憶力があったというのでしょか。
それとも、憶えられない人自身の記憶力に障害や欠損があったというのでしょうか。
そんなことはないかと思います。試験会場に集まる人は至って穏当な人たちばかりでございますし、憶えられない人も自分の体重や配偶者の顔くらいは憶えていることでありましょう。
ならば、どう違うのかといいますと、作業への考え方かと存じます。
憶えられないと言う人は、得てして、50個・100個を憶える方法を追い求めているのではないかと見受けられる次第でございます。
1つのことを真剣に憶えようとはせず、一足先に、50個・100個を求めているのでございます。
たった1つを憶えても仕方がない、と考えているのでございます。
確かに1つ憶えても合格に直接的には影響を与えないことでしょう。
しかし、1もできぬのに50個・100個の方法を求めても徒労に終わることでありましょう。
お勉強においては、明日の100より今日の50以上に、今の1が大切になってございます。
今の1をしっかりやりきることから、話は進んでいくのでございます。
上滑りの50よりも、まずはしっかりした1でございます。
つまらない50人と付き合うよりも、1人の愛を求める方が、賢明な人生であるかと存じます。
隣で寝ている人の顔をまじまじと見つめれば、ご理解頂けるかと存じます。
1をしっかりやっておくと、あとの伸びが違います。先ほどの愛の例でいうと、いつまでたっても愛が深まると申しましょうか、どんどん、実力や力が付いていくのでございます。
たった1しかできなくても、愚直に積み重ねていけば、1.5くらい、50%増しにはなるものでございます。
それでも続けていけば、1.5の50%で2.25くらいにはすぐにできるように、憶えられるようになるものでございます。
そうこうして、後はとんとん拍子に伸び行くものでございます。
ある程度実力が付けば、倍々で実力は伸びませんが、それでも最初の方に較べれば、遥かにたくさんのことを記憶に維持できるかと存じます。
テキストや問題集、過去問をしっかり憶えている人というのは、たくさん憶えていけるようになったのでありまして、最初から膨大な事項を憶える能力が備わっているわけではないのでございます。
ショートカットの効く所を効かない所に、鼻を利かせてくださればと存じます。
ひとつを
2008年11月20日 9:30 AM
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