| カテゴリー: 過去のススメ |
先だってのススメでは、現実とは、希望と現状とで成り立っていると申しました。
現状は、誰にでもわかる、自明のことなのでございます。
本を読んだり、テレビを見たり、ネットをしたり、ご飯を食べたり、トイレへ行ったり、ノラネコにエサをやったりするのが、その人の現状でございましょう。
現状とは、日常生活のオンパレードでございます。たんたんと、望もうが望まざるとも進んでいくものでございます。
対して、希望とは、現状に較べたら、曖昧で抽象的でございます。
確固としたものがないものでございます。
掴み所がないからでございます。
なぜなら、希望に値するモノは、現状にくらぶれば、見出すのに苦労するものでございます。
ですから、丹念に希望の種を見つけては、シッカリ『水遣り』『日光浴』『肥料』『雑草取り』をして、キチンと間引きも行わなければなりません。
希望とはある程度まで、自分で育てなければならないのでございます。自分で育てなければ、先へ進んでいかないのでございます。
ある一定の線まで超えれば、自動成長するものでございますから、その線までは手をかけねばならないのでございます。
そこまで、希望を見出し続けれるかが否かが、じつは試験勉強の裏なのでございます。
この裏の罠を、あんまりよく知らない人が多いのでございます。
合格しても、無意味だなぁと思っていることにまい進しても時間の無駄でございます。
合格しても価値がないナァ、と思っていることを一生懸命がんばることは、非常に難易度の高い行為でございます。
そんなのは、1種の苦行でございまして、お釈迦様がトウのむかしに否定しておられます。
いまさらあんたがやらんでも、無意味さはすでに証明されているのでございます。
希望を見出す行為とは、日々の無味乾燥のお勉強にエネルギーを与える大事な存在でございます。
テキストや問題集だけに向かい合っていれば、結局、合格してもその資格は生きてこないものでございます。
希望とは、憧れの人やら、キャリア形成やら、自身の持てる履歴書やら、鼻高々やら、社会やビジネスの違った面が見えるやら、社会勉強やら、眼力によっていくらでも汲み出すことができるものでございます。
見つけ出さねばならないのが、希望でございます。
そこら辺に落ちているものではございませんし、仮に、落ちている希望なんて食えたモンではございませんよ。
落ちているたこ焼きを食べないのと同様でございます。
「希望を見出すこと」も怠ってはならぬ、お勉強の一種としてお考え下さいませ。
試験のことだけ考えてもいい人は、高校生まででございます。
基本的に、女性は希望上手ですが。。。男性は問題を解くおもしろさに熱中してしまいます。
2006年9月26日 11:24 AM
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