広告の鬼になれ!

『広告屋と紙屑屋は勝手口から、という時代が続いた。そうした社会的侮辱と軽視の中にあって、広告ならびに広告活動の地位向上。。。』そういう時代があったのですね。オキテメールはコチラまで。

鬼になれ!-はじめに

鬼十則も過激でしたが、この「鬼になれ!」も輪を掛けて、胃の辺りがギリギリしてしまいました。

「そうか、鬼か、それならば広告の鬼になろう」と言い切った、吉田の執念が感じられます。

「鬼」とならねば、為らんのか、と。鬼の執念を感じ取ってください。

・広告の鬼になれ!

個人としては仕事の鬼となれ、
職業人としては広告の鬼となれ、

ということである。

仕事の鬼となるということは、仕事以外眼中何物もない。

広告の鬼になれということは、
広告のためにはそれ以外何物もない、

ということであり、

仕事のためには全てを食い殺せ、

広告のためには何ものをも犠牲となし、

踏み台にせよということである。

(参考文献:われ広告の鬼とならん


・・・死んじゃうwww

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「鬼になれ!」という、この過激な文章がなぜ、心を打つのでしょう?

最初は引きました。

が、よくよく味わってみると、ある言葉を言い換えただけなんです。

何かを成し遂げようとするなら、何かを犠牲にしなければいけません。

これは、最も単純な真理です。

そして、利用できるものがあれば、とことんまで使い倒して、踏み台にしてしていくのも、本当のことです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「鬼になれ!」を、言い換えれば、「全力を尽くす」になります。

結構、わたしたちは、簡単に全力を尽くすと言ったり、または、そう言われるのを聞いたりします。

でも、その本当の意味は、全力をつくすとは、裏返せば何を犠牲にしたか、ということなんですね。

いや、わたしたちが使いたがる「全力」の、もう一段上の「全力を尽くす」とはこういうことなんだと。

全力を尽くすとは、簡単に言えば、こういうことですよね。

全力とは、執着の度合いなんだと。覚悟の度合いなんだと。

何を食い殺し、犠牲にし、踏み台にしてきたのか、と。

しかし、当サイトは試験勉強をちょっぴり、楽にしようというのが趣旨のサイトでして、これほど重い覚悟も要りませんね。

1日1時間かそこらの、ベンキョの時間だけは「鬼」の集中力を持って取り組めるはずだ、と気を新たにしたくらげでした。

「鬼になれ!」は、お読みになった各々皆様方の仕事やビジネス、家事・育児、学業で活かしていきましょう。

しかし、これほどの言葉を言ってみたいですね。

それには、鬼のように邁進するものが必要なわけで。

なんとなく、微妙にぬるま湯になってきた自分にはいい刺激でした。

「なんか、中途半端になってきたなぁ」と思ったときは、この「鬼になれ!」を見返して、もう一度、鬼になるべくカツを入れましょう。

「鬼」が足りないんですよ。

ページの先頭に戻る ホームに戻る