はじめに−30にして迷わず?! 少し抽象的なテーマですが、「得るもの」と「失うもの」について適当なエッセイにお付き合いください。簡単に要約すると、このページでは「老いた」のですから、勉強に多少の手間を加えていこうということです。 先ほどのページで述べたように、わたしたちは加齢とともに記憶力をなくしていきます。もしかしたら、記憶力が低下するのではなく、忘れてしまう勢いのほうが強いのかもしれません。 記憶力がなくなる分、わかりきったことながら資格試験ではハンデとなってしまいます。 資格試験では記憶>>>>>>>>>>理解ですので。 みなさんが周知の事実をいうのは心苦しいのですが、再度、資格試験は記憶重視でないと勝てないことを挙げてみました。 どうあがこうとも、この事実には逆らえません。 問題なのは、中高齢者が困るのは「憶えられない」ということです。 われわれ、中高齢者予備軍と中高齢者は、物理的に低下していく記憶力で戦っていかなければならないということなんです。そのために、どんな試みが有効かを考えていく、それがこのページの目的です。 その試みの大前提が、『若者と同じことをしない』です。 老人の失敗のうち、よく語られるのが「まだまだ、若いもんには負けん」とハリキッチャウ人です。まだ、自分の身体の物理現象に気付いていない、もしくは無視しているのでしょう。 絶対的に、中高齢者は若い世代より記憶力が低いのだから、彼らと同じようにやっても仕方がないと思います。中高齢者は、やり方をカスタマイズする必要があります。 若いときと同じようにやっても、物理的に脳みそが欠けている(壊れている^^)のですからうまく行くわけがない、ぐらいにまで「記憶の要領」が違うことを意識しておけばいいでしょう。 ちなみに、「独学のオキテ」のコンテンツの多くは「ぴちぴち」した脳みそであった20代の管理人が記述したものです。だから、問題演習をしよう!というのは、それだけで憶えてしまった残滓なのです。 得るものを最大限に しかしながら、記憶力が落ちたからといって、生きる上ではそーんなに重要なことでもないです。記憶力の低下は、資格試験では不利であっても、社会生活上、資格試験なんてごくごく、小さな分野のことです。 (資格試験関連の会社、関連団体の純資産・時価総額のすべての合計額を出しても、トヨタの有名関連会社1社に及ばない気がする。) まー、記憶力の低下は、結婚記念日や子供の誕生日を忘れてしまい、子供の尊敬を失うか、奥方の皮肉と氷の視線をくらうことぐらいでしょうか? 新規のお客さんの名前や顔、取り扱い商品を忘れるわけではないのですから、それほどの問題ではないです。 生きるうえで、そんなに不利になるわけではないのです。 ぶっちゃけ、資格試験くらいでしょ。記憶力が問題になる世界は。 語句を憶えられないからといって、あなたの価値が落ちるわけではないのですから、所詮は小さいことです。 さて、多くの中高齢者は、年齢を経るたびに、落ち着きやと交渉力、説得力といった人間関係能力、整理したりまとめたりする総合力が増えてきていると思います。もちろん、視野も大きくなってきているでしょう。 中間管理職、現場のチームリーダーなど、組織や事業の要になってきているからこそ、そのような能力が必要になってきているかと。 コレまでの自分と比較してみて、拡大したり増加したり、発展した能力を「積極的に」使っていこう、というのが今回の試みです。 はっきりいって、人や社会にとってはこのような能力のほうが大切です。記憶力が優れているからといて、直接的に役に立つのは資格試験か受験くらいです。多くの人が履歴書にちょっとした文言を書く位の結果です。 自分の変化なんてないさ、と思っている人がいるかもしれませんが、結構変わっていくモンですよ。探してみれば、きっと変化はあるはずです。お腹の周りが大きくなるだけが、歳をとることではないのですから。 ちなみに一時期、「朝5時起きでなんでもできる!」という書籍がありましたが、ほとんどの人は、10代・20代の若い間はできないでしょう。 しかし、30代、40代になっていくとできるようになると思います。いま、わたし、5時か6時くらいに起きています。 かつてに比べて、眠りが浅くなり早起きが苦痛じゃなくなったのですよ!! ギャフン このような、物理的な身体変化があるので、環境に拘束されるメンタルな部分にも変化があってしかるべきだと考えます。 老いへの矜持 多くの人が忘れていますが、わたしたちの脳は30%ほどしか使われていないとのことです。残り70%もの余力があるのです。 老いたからといって、合格できないわけではないのです。 「北斗の拳」という漫画は、脳みその残り70%を最大限に活用する拳法家たちの話です。脳の70%を解放すると、馬に乗ったまま空に浮き上がったり、飛んできた矢を素手で打ち返したり、指先から闘気を凝縮して打ち出したり、分身したりと人間の原始的なポテンシャルの高さをいきいきと絵描いています。 さて、記憶力が低下する現象は、自分に意味のないこと、または関係のないことを記憶できなくなる「生理現象そのもの」だと考えています。もう、仕方がないと。 アホな上司、アタマの硬い上司、取引先がどこにでもいます。何度言っても改善の余地なし。これはもう、生理現象なので仕方のないことです。だから、彼らにわかるようにコミュニケーションしないといけません。 彼らは、自分に意味のないこと、または自分に関係のないことは記憶できないのですから。それでも、一度や二度じゃだめですけどね。 関連付けてやらないといけないのです。まさに、養老孟司の言うように「バカ」は物理的な「壁」なのです。説得はそうそうに通じない。 「老い」とは物理的な問題です。自分にわかるように、わかるように説明して行くこと。テキストを読破して、何度も問題集を解いても憶えられないことは、きっと自分への説明がきちんとなっていないのです。 理解だけではなく、納得させる必要があるのだ、と。 これから、多くの人は問題集を解いていくだけで憶えてしまう絶対数も少なくなってくるでしょう。そんなときは、もう若くないのだからと思って、立ちはだかるバカの壁に前向きに取り組んでいこう、と。それが、年代の応じた勉強の姿だと思って。 あのスッキリサッパリ忘れきる経験は、あまり味わいたくないものです。徒労感を何度も味わうと、人はたやすく挫折して絶望するものです。 所詮は小さな問題なのに、嫌な時間を味わうのはナンセンスです。 「細切れ時間を最大限に利用」してもねぇ・・・ これは、資格試験だけでなく勉強一般についてもよく言われるフレーズですよね。わかりやすいことながら、内容的には不十分だと思います。 細切れ時間を利用しても忘れるものは忘れるのですから。しかも、憶えたと思って、忘れきっていたときは正味な話、大ショックですよ。 このような徒労感を何度も味わうと、本当にやる気がなくなってしまいます。前ページの「独学のオキテ」の源流になったおっさんも、何度、この徒労感を味わったのか、わかるようになりました。 中高齢者にとっては、「あらゆる機会を無駄にせず、すべてを利用し尽くす」ということではないかと思います。コマ切れ時間なんて当然だ、と。 すべてを利用して、納得させる必要があるのだ、と。 記憶や理解だけでは、中高齢者にとっては不十分です。どんなすばらしくてわかりやすい説明でも忘れます。記憶と理解の従来の勉強パターンに「納得する・納得させる」ことを追加してみよう、ということです。 これは、はっきりいってしまえば、試験にとっては「余分」なことであり「無駄」なことです。合格に対しては、直接的に役に立たず余計な手間にあたります。 それでもなお、積み上げようと、寄り道しながら憶えていこうという試みです。納得・説得という行為は、いろんな視点、いろんな言葉、比喩、比較を混ぜつつ、何度も行っていくことです。 中高齢者の経験こそ、うまくいく領域の世界ではないでしょうか? 相手や状況に応じて、説得の仕方ややり方を変化させる老熟さとでもいいますか、そういったやり方は誰でも経験したことではないでしょうか? 教えることの下手な大人の理屈は、自分の言う事を絶対化して無理やり教え込むものですが、一方、上手な人は焦らず丹念に、うまーく相手を導いていくものではないでしょうか? 若いときはアタマの記憶がうまく行くので、下手な教え方でもついていけるものです。 30にして立つ、40にして迷わずといいます。要するにその頃になって、ようやく自分の我がでてくるのでしょう。それを、上手に納得・説得をして飼いならしていく。アタマも硬くなってくる年齢ですしね!!! 年齢を積んでからの上手な学び方は、忘れきってしまうところには手間を惜しまず「納得」を積み重ねていくことではないかと思うのです。
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