勉強は馬鹿がやる−薩摩隼人

勉強というのは馬鹿がやるもんだと、そんな気概を持った薩摩隼人的なオイラの高校のときの大学受験のエピソードを。独学の勉強方式は、高校生のときから始まりました。

はじめに−イントロダクション

当サイト「独学のオキテ」は、資格試験を対象にしていたのですが、意外にも大学受験生からの何通ものメールを頂いたので、彼らへの応援メッセージとして、不肖ながらわたくしめの大学受験の経験を、ひとつ披露させていただきます。

ま、結論からいうと大学受験も、問題集や過去問演習といった「独学方式」で合格したということです。その大学合格までの過程をうだうだと書いています。(私大合格で且つ第1志望は落ちましたが^^;)

自分のコトとはドーでもいいとして、話の筋がわかる程度に^^

小学校・中学校は殆ど勉強らしい勉強はしませんでした。そのときの「学習」についての認識をひとつ紹介します。

塾にいったり、家庭教師をつけたりするのは、すんごい馬鹿だ!アホの証拠である!

勉強というのは授業で消化するものである!家に帰ってまでするのは馬鹿の証拠だ!

テスト勉強なんて卑怯だ!

と疑いなく思ってた少年でした。薩摩隼人並みのぼっけもんですな。
その程度のガキだったと思ってください。

もちろん、小学校・中学校と勉強なんてアレでアレなわけです。テストがあるよといわれてもゲーセンヘいったり大戦略で遊んでるのですから、悪いわけですよ。ノートすらとったことがないのです。

中学のときの最低得点:数学が12点。

12点ときは流石にこたえました。「のび太君」の気持ちがわかったものです。ま、薩摩隼人並のぼっけもんですから、すぐに忘れました^^

中学のときの最高得点:社会が81点。

授業が退屈で仕方がないので、社会科の資料集ばかり読んでました。そのためか、わりかし、社会科は得意でした。

高校受験になると適当に勉強するのですが、学習の方法がわからんから行き当たりばったりで、結局、志望校の公立高校には不合格。滑り止めの高校へ進学しました。

(志望校というものでもなく、この程度の成績ならこの高校でしょ、みたいな感じでした。)

その滑り止めで受け、進学した高校というのが、大学受験の模試で偏差値50を超えたら、トップになるという高校でした。50という数字が、その高校のレベルが如何なく表現していますね。

勉強せー勉強せーと学校の先生方がおっしゃるものですから、適当に凌ぎます。やらんと怒られるのでプリントとかもやって提出します。でも、模試の偏差値は50を超えず。

それで、高校1年を経過。課題というか授業をこなしていただけですが、勉強をしていないことはないのです。それでも全く、模試の結果には反映されず。やっぱり俺アホなんかの〜と思っていた頃でした。あほなやつはあほなんかのぅ〜と。

高1は、バイトを始めたのでその年齢にしてはお金がありましたので、酒を良く飲んでいました。いまより、ずっといい酒呑んでました。そんなんですから、成績も上がるわけでもなく「50」の壁が超えないわけです。パソコンゲームも楽しんでました。A列車で行こう3、信長の野望などは、酒を傾けながらおっさんくさい楽しみ方をしていたものです。

ダンディで精悍な薩摩隼人どころではないですね。ま、酒飲みという点で薩摩隼人なわけで。ま、いまでもこの酒&ゲームの楽しみだけは捨てれないわけです。

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