悪人をいくら頼っても、身内にはならない。水はいくら沸かしても、燃えることはない。
(2013年 4月 :サキャ格言集より。
ダメなものはダメだ。益のないことは、どんなに頑張っても益は出ないその方法でダメなら、新たな手口を試す。切り口を変える。時期を変える。時間を置く。いっそのことやめてしまうのも、立派な「手」である。何事も“一直線”なわけがない。
腕づくで強いられた約束は之を守ってはいけない。
(2012年
5月 :マキャベリ「ローマ史論」)
逆を言えば、強いた約束というのはいつか破られるものであるし、守らせようとしない限り、約束は実行されないということ。
自然は、われわれの「強み」に適応しているのと同じ程度に、「弱み」対しても適応しているものだ。
(2012年
2月 :ソロー「森の生活」)
わたしたちも自然の一部であるから、自分の強みも弱みも自然の摂理の1つであるわけで、それなりの意味と代替を持つもの。
何でも1人で抱えないことだ。それは摂理に反するのだ。
No matter how serene today may be, tomorrow is always uncertain.(2011年
7月 :ウォーレン・バフェット)
この人たちは、ホント明晰なんだよね〜。
完成できないことは、いい行いでも始めるべきではない。
消化できないものは、美味しくとも誰が食べようか。
(2011年6月 :サキャ格言集)
だけど、「やってみなけりゃ、わからない」から、人生は難しいんだなあ。慢性の消化不良なら、やめたほうがいいってことなのかしら。うーん、難しい。
己1人、生きて有ると思うべし
(2011年2月 :出典不明)
伊藤仁斎の言。この覚悟ですよ。
やってもないのに悩まない。
(2011年1月 :出典不明)
必ず、今の自分より頑張っている人はいる。やっている人はやっている。それを忘れない。自分の努力などそんなもの。やったうちに入らない。慢心して現状だけに埋没していてはならない。「日本一やってるの?」と自問してみよう。
いろいろなことを、怠ってちゃ駄目だ。
愚かなことは、多少の理性で補ってやろうとするより、そっくりそのままにしておくほうがいい。
(2010年12月 :ゲーテ「格言と反省」)
続きはこうです。「理性が愚と交わると、その力を失い、愚も愚なりに往々に役に立つ性質を失ってしまう。」
長所は伸ばすべきですが、短所はそっとしておくというのが、教育なりの真髄かなと思います。短所は、結局のところ伸びませんし、直そうとすると余計に変になります。自分の経験からいっても、そう思います。ご注意をば。
我々は苦しむ以上に、恐れるのである。
(2010年11月 :アラン「幸福論」)
よくよく考えてみれば、苦しくて仕方のないときというのは、そうないものです、ホント。1日中、痛みでのた打ち回るわけでもなく、わからなかくて頭をかきむしることもありません。自分では苦しく思っていることは、もしかしたら、単なる恐れかもしれません。恐れなら、柳の枝であることは多々ありますね。
賢者は征服するよりも、深入りしないことを得策とする。
(2010年10月 :ラ・ロシュフコー)
「やる」ことではなく、「やらない」ことに重きを置く古言。人生は思う以上に短い。詰まらない・関心の持てないものに我が身を費やしてはないらない。最も自分に適うものに時間を使おう。
成功者とは、失敗から多くのことを学び取り、新たに工夫した方法で、再び問題に取り組む人間のことである。
(2010年9月 :デール・カーネギー)
ということは、成功のためには、間違えてもよい、といえる。成功のために、人は正解のみを求めるが、実はそれこそ逆、というわけである。断トツで失敗してはいけない真の物は、酒・バクチ・薬・異性関係、そして、大きな借金くらいであって、他の失敗など失敗の数に入らない。わたしたちの失敗の多くは、成功への一里塚なのだ。
茶のあるところ、希望あり。
(2010年7月 :サー・アーサー・ピネロ)
出典は
「茶の世界史」(ビアトリス・ホーネガー著/白水社)の一文。水を選び沸騰させる。カップと急須を暖める。茶葉を一さじ。沸騰を見計らって注ぐ。5分待つ。その間にお茶菓子を用意する。急須を回しながら、急がず、ゆっくりとカップに注ぎ入れる。湯気を匂う。冷ましながら一口啜る。茶が舌に触れる一瞬の味、飲むとき、飲んだ後の余韻を楽しむ。お茶一杯にこれだけの世界があります。カップ一杯を楽しめない人生は、何かが間違っていますな。
勤勉は霊薬なり。
(2010年6月 :出典不明)
出典はたぶん、古典より。落ち込んだときや不安、焦燥に駆られたときほど、目の前の仕事なり勉強なりに一生懸命になれ、とこの言はいいます。まあ、その通りでして、ウジウジ思い悩むより何かで心身をいっぱいにした方がいい方に進みます。
昔からそういわれています。本当に、「霊」の薬とはいったものですよ。
人生をあるがままに受け入れない者は、悪魔に魂を売り渡す。
(2010年5月 :ボードレール)
良かれと思ったことが裏目に出たり、ダメだなと思っていたことが、意外に役にやってきたりと、なかなかに物事の判断は難しいもの。だからこそ、先入観なく物事と起きた事とを受け入れるが大事かと思います。
意外にある事態かと。
自分を忘れる。
(2010年4月 :出典不明)
自分というものを除いて考えてみると、意外に物事が見えてくるものです。こんな事馬鹿げていないか、と考える自分が1番馬鹿げていることはママあるものです。
もはや愛も迷いもせぬ者は、埋葬してもらうがいい。
(2010年3月 :「ゲーテ格言集」)
逆にいうなら、生きているというのは、迷いながらも愛している状態をいうわけです。もっと逆にいえば、死んだらできないと言うこと。
形容詞である限り、恐らくどれも当っているのだろう。
(2010年2月 :「作家の顔」小林秀雄)
世の事は、どうとでも言えるし、どうとでも言われます。大切なのは自分が何を意志して、どう行うかに尽きるかと思います。
悲観は無能の証
(2010年1月 :出典不明)
悲観する暇と余裕があるならその分を解決や解消、完成に充てなさいと言う事ですね。本当によくわかります。
生きるのは常に現在形である。
(2010年1月 :出典不明)
「過去」というのは、昔の事や○年前といった属性の付いた、現在の記憶でしかないわけです。「未来」も、未来と銘打つ現在の思考でしかありません。先の事をアレコレと思い煩んだり、昔の事をクヨクヨと悔やんだりするのがあまり功を奏さないのは、生は現在の形しかないからです。長年の謎が解けました。
すべての日がそれぞれの贈り物をもっている。
(2009年12月 :柳沼重剛編「ギリシア・ローマ名言集」)
まいにちを次の次へとつなげて行く。毎日に贈り物があり、毎日が贈り物である。
昼と相談することだ。
(2009年11月 :柳沼重剛編「ギリシア・ローマ名言集」)
もともとの文は、「宝石であれ、紅に染めた毛織物であれ、女の顔や容姿であれ、昼と相談することだ」です。本当に夜考えても名案は湧きません。大事なことや重要なことは夜の闇を避け、朝か昼のお日様のもとで考えましょう。
わたしはこのことを、考える上での真理だと思っています。
必要なことは、2度でも言うがいい。
(2009年10月 :柳沼重剛編「ギリシア・ローマ名言集」)
重要な用事やイベント、大切な人のことについては、何度も何回も手帳に書いて、目に付く所に張っておくがよい。「己には2度言え。」
言葉の力とは、今ここにないものを呼び起こすものである。
(2009年9月 :水村美苗「日本語で読むということ」)
言葉の本質を説く一言です。非常に判りやすく、小学生でもわかる定義であるかと思います。人間は言葉で考える以上、用いる言葉と使う言葉には、注意を払った方がいいです。言葉使いの綺麗な人を見るに付けて、そう思います。
言葉には、己を上手に隠す力があるのです。
いま見よ、いつ見るも
(2009年8月 :柳宗悦)
やなぎ
むねよしさんの言。経験が増え、知識と知恵が付くにつれて見えなくなって、物事がわからなくなります。これまでのデータとともに、常にゼロ感性で見る姿勢が必要だと思います。明らかな兆候やサインを見落とさないよう、自戒の意味を込めて。
やらなくて後悔するより、やって後悔した方がいい
(2009年7月 :出典不明)
ある部分、あるレベルまでは絶大に通用する格言です。なぜなら、やって失敗した方がたくさんの経験がつめるからです。しかし、これはある程度のことまでで、それ以上は、べきかべざるかを決断しなければならないように思います。そう数ないですけどね^^
悩みを突き抜け歓喜に
(2009年6月
:ロマン・ロラン著ベートーヴェンの生涯より)
第9で有名になった言葉。今更ながら、そうだなと思いました。悩みは、突き抜けるものなのです。
今日生まれたと思えばいい
(2009年5月
:出典不明)
大きな問題やトラブル、失敗に巻き込まれたら、こう考えるしかありません。グダグダねちねち後悔するよりも、さくっと「今日生まれたことにする」と思って、やり直していきましょう。こう考えたほうが立ち直りははやいです。覆水盆に返らず。
われわれは外界の奴隷に過ぎず、事物がわれわれの心を萎縮させるか、のびのびさせるかに応じて、われわれは、つまらない人間にも見えれば、偉い人間にも見えるのだよ。
(2009年4月
:ゲーテ)
知っている人は、やはり知っているのでした。奴隷というときつい表現ですが、やはり「奴隷」としかいえないように思います。きっちり、外界(環境)の整理をすべきです。
無視するのもしんどい。
(2009年3月
:不明)
手帳にあった言葉。ちょっとしたことでも、それをすべきでありやる価値があるなら、さっさとやったほうがロスが無いことを意味しています。
そう、しなくていいやと無視することも、意外にエネルギーを食うわけです。雑用はさっさと済ませてしまいましょう!
労働はむなしい。そこに、愛がなければ。
(2009年2月
:カリール・ジブラン)
実に深みのある言かと思います。自分の仕事について、やっていることについて、よくよく愛の点から考え直してみることをお勧めします。
疑問や悩みが最終的に行き着くところは、愛になりそうです。
目的をたずねる質問、つまり、「なぜ」という質問は全く学問的ではない。(2009年1月
:ゲーテ)
この言の続きは、「だが、『どうして』という質問ならば先に1歩進むことができる」となっています。
考えるときは、「なぜ」よりも、「どうして」の方が名案が湧きます。「なぜ」という質問は、思う以上に役に立ちません。処世訓として憶えておきましょう。
例:「なぜ、そうなるの?」→「知らん!」
例:「どうして、そうなるの?」→「考えられるのは、○○だから」
こんな風に、思考が展開したり広がったりするのが、「どうして」の利点です。使い方一つですね。
心配するな。なんとかなる。
(2008年12月)
誰のでもない言。これまでも何とかなってきたのであるから、これからも何とかなるものです。何とかしていきましょう!
自然とは見る人を写す鏡である。
(2008年11月)
富岡鉄斎の言。毎日の気候や植物、小さな生き物など、自分の身の回りの自然を意識しているでしょうか。自然が見えないときは、何かで心がいっぱいではないでしょうか。それは、あってもなくても同じようなものではないですか?という、鉄斎の問いかけのように聞こえます。
想像力に欠けることは怠惰であり罪である。
(2008年10月)
ダンテより意訳して抜粋。健全な想像力は勉強だけでなく、人生一般でよく生きるために必要なことと考えます。これまでの失敗や痛い目を、想像力の点で考えてみてください。合点がいくのでは?
個性とは好奇心
(2008年9月)
出展不明。友人や子供が「個性」「自分」に悩んでいたときに語ってあげたいですね。個性や自分とは、心理学や哲学といった難しいものではなく、好奇心の中に現れるものであると。それは、老若男女、変わらないと思います。
格物・到知・誠意・正心・修身・斉家・治国平天下
(2008年8月)
個人的メモ。『礼記』大学篇一章。読みは、かくぶつ・ちち・せいい・しょうしん・せいか・ちこくへいてんか。そうですなあ!!!
人が見たら蛙になれ。
(2008年7月)
評論家の青山次郎の名言。骨董を愛でる人だけでなく、コレクター精神の旺盛な人ならわかるのではないでしょうか。偏屈なまでの愛を注げる一品に出会えるものでしょうかねえ。
(ここにある西洋の過去にもつながらず、故国の現在にも受け入れられていない自分は、いったい、どこを目指して歩けばよいのか。ふたつの国、ふたつの言葉の谷間にはさまってもがいていたあのころは、どこを向いても厚い壁ばかりで、ただ、からだをちぢこませて、時の過ぎるのを待つことしかできないでいた。)
とうとうここまで歩いてきた。ふと、そんな言葉が自分の中に生まれ。。。
(2008年6月)
出典は須賀敦子著「ヴェネツィアの宿」より。凄く実感できた一文です。「とうとう」「ここまで」「歩いてきた」、みっつのありふれた言葉を並べただけで、こうも輝くのですね。
言語の単位は文章である。
(2008年5月)
「
ヘレン・ケラーはどう教育されたか」より。ヘレンの言葉の習得の仕方は、わたしたちにも十分参考になるものがあります。この本から得たことを、活かしたいなと思っております。
わたしたちは少しづつ、孤独が、かつてわたしたちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。
(2008年4月)
出典は須賀敦子著「コルシア書店の仲間たち」。この言そのままで完結しています。コメントの必要なし。
犬の喜ぶことは、亭主にもせよ
(2008年3月)
出典は不明。男性から見ると苦笑してしまいますが、意外に真理はついています。確かに、男性のうれしがるものは仔犬の喜ぶ行為と類似性があると思います。内助の功も犬の飼い方如何。
おっとりぢから
(2008年2月)
おっとりする力かと少し吹いた言葉。短い単語ですが、実に含蓄があります。イライラしても能率は上がりません。アクセクしてもそれほど効果は出ません。アタフタしても始まりません。おっとりしている方が物事がうまく行くような気がします。
これからがはじまりです
(2008年1月)
プロレスラー小橋建太選手の言。口下手な彼がインタビューでポロっと口から出た言葉。何時何処でも誰にでも使える名言。うまくいっても失敗しても、これからがはじまりなんですよ、と。
小善大悪・小悪大善
(2007年12月)
出典は不明。妙に心に残ったので抜粋しました。ある1点を見ればよいことであるかもしれないが、大きく見ると悪いこともある。逆に、ある1点をみれば悪いかもしれないが、大きく見ればよいことになっているという意味です。
目先に囚われず、大きくよいほうに向かいましょう。
利口と賢明は違う。
(2007年11月)
探偵エラリー・クイーンさんの言。
実に味わい深い言です。身のまわりに、利口な人はいませんか。しかし、よく観察してみれば自分の首を絞めているだけの、愚者でかもしれないのです。我が身を振り返り、利口だったか賢明だったかをお調べくださいまし。
考えることは知ることである。
(2007年10月)
探偵エラリー・クイーンさんの言。いやあ、古典ミステリにはまっているわたしですが、「論理的」であることがこんなに面白いとは。
「頭を鍛える」やら「論理力・思考力をつける」といった本を読むよりかは、クイーン氏の小説を10冊読むべしです。
考えるのはいいのです、何か新しい発見・事実があるように考えていますか?というわけなのです。
自らの過ちを告白する力があるときは、その過ちにクヨクヨしてはならない。
(2007年9月)
本当に困ったら人にはいえません。あーだこーだ茶飲み話に、飲み屋の肴になるだけ、軽微な問題なのです。
君子は人の美を成し、人の悪を成さず、小人はこれに反す。
(2007年8月)
他人の悪口は程ほどに。こき下ろすことは誰にでも小学生でも可。口に出すから、ちいさくなっていくのです。
自分を愛する程度に、人を愛することができる。
(2007年7月)
己に厳しい人は、要注意の諫言です。なかなか含蓄がございます。
今、汝は限れり(今女ハ画レリ)
(2007年6月)
勝手にじぶんに蓋をしない。抵抗することから戦いは始まる。
自分をあきらめたくないんだ。(Never
give up)
(2007年5月)
ロッキーファイナルより。そだそだ、と改めて、そして深いところで納得した。諦めたらそこで終わり。抵抗することから戦いは始まる。
唐衣 袖でひとめはつつめども こぼるるものはなみだなりけり
(2007年4月)
恋歌。そのままではないかと思ったが、その直接さこそアレでアレなのだろうと納得。新古今和歌集より。
いざさらばなみだくらべん時鳥 われもうき世にねをのみぞ鳴
(2007年3月)
建礼門院徳子が大原にて詠んだ歌。時鳥はホトトギス、鳴はな(く)。「泣きくらべをしましょうか、ホトトギスさん、つらい世に耐えかねて、わたしは泣いてばかりいるのです」
「
愛はあなたがたを。。。しなやかにする」
(2007年2月)
愛はあなたがたを、麦の束のように刈り取り、あなたがたを打って、裸にし、ふるって殻を取り、引いて、白く粉にし、練ってしなやかにする。−カリール・ジブラン
「
文学は会話から始まった」
(2007年1月)
宮本常一さんの言だったと思います。土佐源氏など、市井の言葉を拾い集めた宮本さん、来年は彼のように聞き上手になりたく思います。その思いを込めて。
「
技術とは、労働手段の総体を指すのではなく、発想なのであります」
(2006年12月)
「(つづき)創意に出発して工夫に到達する、パラドキシカルにいうなら技術は熟練を要しない」
竹中労氏の言。妙に引っ掛かっています。12月はこの言葉を味わってみようと思います。
「
幸福は休んでいる。そして、明らかになすべきことを 少しづつ待ち、幸福は理解に富んでいる。」
(2006年11月)
汚れちまった悲しみの、中原中也さんの詩集より。
焦ってスグにやれば、はやく終わるかもしれません。
「頑なの心」にならないようにします。
「
花を正式に習ったことは一度もありません。先生は器でした。陶器がこういう風に活けたら、と教えてくれるの」
(2006年10月)
白洲正子さんの小エッセイ「ほんものとは何か?」より。
体当たりで美しきものを追い求める姿勢に脱帽。知ってよかったと思う1人になったきっかけのコトバです。
生きかたに、際のうつくしさがございますのぅ。
「昨日より、ちょっとだけよくなればいいんじゃない」
(2006年7月〜9月)
ピアニスト、フジ子・ヘミングさんの本から拾った言葉です。
結局は、そうですよなぁと同情した次第でございます。才能がある人の言だけに、一層、重く感じました。
その日をめざして。
「ところで、ここへ仲間入りするには、
君は魔法使いでゆくのか、それとも悪魔でゆくのかい?」
(2006年3月〜6月)
出典は「ファウスト」
深いですね。常に第3の道があらんことを。
「鎖の強さは、いちばん弱い輪で決まる」
(2006年2月〜3月)
出典は不明。手帳に書き込んであったのを拝借。
人生はマラソンに喩えられます。ある区間だけ早くても仕方がないのです。コンスタントにやっていく大切さ、インスタントに済ます危険性を示唆しているいい言葉だと思います。
「やる気を倹約しない、夢を節約しない」
(2006年1月〜2月)
出典不明。不景気時の節約・倹約ブームに一石を投じた名言。「しょーむないことしとんな、ボケ!」を『翻訳』するとこうなります。
景気が回復したらプチバブルというのは止めないかい?w
「楽観主義は逆境でこそ持ち続けなければならない。」
(2005年11月〜12月)
「わが父・ケ小平」を読んで見つけた「その通り!!」と思った文章です。調子のいいときは誰でも調子がいいのですよ。
問題はその後だと。成功の後に来る失敗だと。
「ものぐさは、錆と同じで、労働よりもかえって消耗を早める。」
(2005年10月〜11月)
私の尊敬する人、チャーリー・マンガーさんの尊敬するベンジャミン・フランクリンの言葉です。
小人、閑居して不善をナス、ですね。さて、大いに働きますか。
「わたしはイチゴミルクが大好きだ。」
(2005年9月〜10月)
「わたしはイチゴミルクが大好きだ。だが、魚はどういうわけかミミズが好物だ。だから、魚釣りをするときはわたしは餌に、イチゴミルクではなくミミズを使う。」−D・カーネギー
ステキな名言ですね。
「解決は問題の中にあります」
(2005年8月〜9月)
自分で作った、勝手な格言です^^;
まあでも、問題解決に当たっては遠からず近からずで好きです。
「敗軍の将は退却開始の相当前から、その運命を自覚していたはずである。」
(2005年7月〜8月)クラウゼウィッツ−戦争論
みんな、やらなくちゃいけないことは知っていても、無視してしまうものなのですよ。
「人間は努力する限り迷うものだ。」
(2005年6月〜7月)ゲーテの『ファウスト』より。
ゲーテさんは面白いですな。読める年齢になったということか。orz
「挙世滔滔として西に走るとき、我ひとり東に行かん」
(2005年5月〜)
・・・なかなか常識からは自由になれませんな。金がかかれば尚更。
最後の相場師、是川銀蔵の言。深いのぅ。。。
「失敗にマイナスをかけるとプラスになる」(4月〜5月)
・・・失敗から学ぶことの重要性がわかってきた今日この頃。
作家 藤本義一が「失敗の哲学」に寄せた文から抜粋。
「今日の一つは明日の二つに勝る。」(3月〜4月)
・・・明日ではなく「今」何をするかが問題なのです。
ベンジャミン・フランクリンの言葉。明日やればいいのでなく、今日、1個でもやろうという自戒の意味を込めました。
「色の白いは七難隠す」(2月〜3月)
・・・色白だとほかの欠点が目立たないことのたとえ。
よく考えないと美人にはすぐに騙されるたとえ。転じて、批判的に物事を見ないと時間と資本を吸われる様をいう。
「馬に乗って馬を探す」(1月〜2月)
・・・問題の解決の糸口は自分の足元にあるのでした。
灯台下暗し、と同じ意味です。やっさんの「メガネ、メガネ」を想像してしまったので採用しました。ある意味、真理。
「神は歯のない者にクルミを授ける」(12月〜12月末)
・・・人生は気まぐれです。人もまた、気まぐれなのです。
人生がうまくかみ合わない例えです。「くらげにロマニコンティエ」ともいいます。今生では縁がないでしょう。
「阿呆の三杯汁」(11月〜11月末)
・・・3杯で止めるから阿呆であって、あと7杯で計10杯食べたら英雄。
空気が読めない=アホなる意味。昔からいるのです。それを逆手に取るのが人誑し。
「鬼も18」(10月〜10月末)
・・・いつかはきっとチャンスがあるってことですよ。
鬼のようなブサイクな子でも見れるときがある、なる意味。ひどい。
「商いは牛のよだれ」(サイト開設〜9月末)
・・・平常心でのんびりやりましょう。細く長く焦らずに、確実に。
焦っても仕方がない、ということを牛を用いて表現した名句。自然主義的な描写にセンスを感じます。
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