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はじめに-吉田さんとは?吉田秀雄。旧姓、渡辺。電通の第4代目の社長。東京大学を卒業の後、就職難のため、当時、卑しい職業とされた広告業の電通に入社。 戦中戦後と、広告代理店の社会的評価を変えることに全力を尽くし、戦後は、ラジオ・テレビ放送の基盤整備、電波社会での広告のあり方を構築した。 時代を先取りする仕事振りで、日本の広告業界で圧倒的すぎるトップ企業に育て上げた。現在、日本に電通が関わらない広告・イベントはないと言われる。 ・・・以上が、吉田さんのざっとした履歴ですが、これだけではまったく面白くないですね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「われ広告の鬼とならん」・・・吉田秀雄の生涯」は舟越 健之輔 (著) でポプラ社から出版されています。 全部で520ページほどあります。 丹念に吉田さんの生涯が描かれており、いい仕事です。 書きあがるのに20年の歳月が流れたと、あとがきに書かれていますが、さもありなんの仕事振りです。 広告業に行きたい人や、何故、広告会社に勤める人はあんなに働くのか不思議に思った人は読んでみましょう。 人種が違いますよねwあの人たちw 読んでみたら、「まあ、そうなるのぅ」と思い至るでしょう。 強烈な個性-鬼になれ!鬼十則という、10個の励まし言葉があります。 (鬼十則については詳しいことはこちら:別窓→電通鬼十則!!) 最初に、この10個を見たときは、えらいことをいっとるのぅと思いました。 しかし、だんだんと、書いていることがわかってくるのです。 確かに、厳しいを書いているのですが、だからといって、その厳しさから逃げてしまえば、だんだんとツマラナクなるのです。 いったい、こんな文章を書く人はどういう人なのだろうか?と思ったのが、吉田さんの伝記を読もうと思ったキッカケでした。 ま、伝記本体のあらすじは、アマゾンとかの書評を読んでチョ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ある広告マンとの思い出吉田秀雄の伝記を読んでみて思いだされたこと、それはある広告会社の役員をしていた人でした。 その人の会社は、不況による信用収縮の波をもろに当たってしまい、黒字なのに運転資金難にて倒産してしまいました。 そのおっさんと会ったときには、広告業界には勤めていませんでしたが、それでも押し出しが強く、意見をガンガン言う割には、周りにさりげなく気を使っていた人で、今でもよく覚えています。 特に、段取というかなんと言うか、全てがスムーズなのでした。 電通鬼十則をみて、あーこれが広告業界つーものの洗礼なのねぇ、と彼のことをいたく納得しました。 「周囲を引きずり回せ!」とか「頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ!」とかは、完全にそのおっさんの一部でしたね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− また、そのおっさんは、とにかくお菓子を買ってくる人で、(もちろん会社の経費でなくて、自腹)自分は少ししか買わないのに、全員分を買ってきて「食え!」という人でした。 吉田さんが、服やコートや靴を社員にあげまくっていた、何かをあげるのか無性に楽しんでいた、というエピソードに触れたときに、おっさんのお菓子あげ癖を思い出したものでした。(スケールは小さいですけどwww) ホント、フトこのおっさんを思い出したのは、一人の強烈な個性が、業界全体の個性にまでなったのだなぁ、と思い立ったからでしょう。 もちろん、一人の強烈な個性とは、『吉田秀雄』です。 吉田秀雄をから生まれた業界の文化、気性、、果てには心持ち、行動パターンつーのが、いろんな人の個性になって溶け込んでいったのかもしれない、と不思議な気持ちになったのでした。 そのくらい、そのおっさんは、これまであったサラリーマンの人たちとは違った、際立った個性を持っていたのです。 さいごに吉田秀雄の生涯を追ってみると、とにかくよく働いた、アツイ、オッサンだったなぁと思うはずです。 まあ、私自身が彼ほど働いていないから、そう思ったのでしょう。 バリバリ働いてるぞ!!!という人は、感動しないかもしれません。 一種の測定器ですね、この本は。 しかしながら、今でも彼にファンがいるように、現代では少なくなった種類の人間であることには間違いがないようです。 読んでみて、本当に面白く、充実した時間でした。 ちなみに「われ広告の鬼とならん」は2004年1月に第1版が出ています。昭和38年(1963年)に往生した人についての本が、40年以上経った後にも、まだ新刊で出るということですねぇ。 ちなみに吉田秀雄さんいついての本はコレで3冊目です。 人生やら勉強やらに仕事やらに、閉塞感に包まれている人は、ぜひとも読んでみましょう。 単に自分がサボっているだけで、まだまだ出来ることはあるじゃん、と気付くはずですよ。
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