はじめに-久しぶりに誰かの伝記を読んでみよう誰かの伝記を読むと、以下の3つの効能があります。 以下、順番にその効能を説明していきたいと思います。 伝記を読むというのは、とても安価でしかも高品質なセラピーを受けるもので、本代しかかかりません。 保険証もいりません。 ヤケ酒、ヤケ食いのコストに比べたら、安いモンです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ・伝記の効能1:悩みや苦しみの軽減 上手に書かれた伝記を読んでいると、その伝記の人物と自分を重ね合わせながら読み込んでいることに気付きます。 何かで悩んでいたり、苦しんだりしている状態の時には、得てして自分を客観的に見れていません。 自分を客観的に見るために、誰かに相談したり、占ってもらったり、セラピストにお金を払ったりしているのです。 客観的に自分を見れないと、悩みや苦しみがこれから永遠に続きそうな感じがして、ますます塞ぎこんでしまいます。 伝記の力の1つ、それは「自分を客観視」することです。 多くの伝記に触れると、わかってくる事実のひとつがコレです。 「必ず、調子の良いときと悪いときがある」 大体、『伝記』になるような人は、ドえらい目に遭遇しているわけです。それがないと盛り上がらないので、伝記を書く作家は、とりあえず「ドえらい目」に合った人を探すものでしょう。 なぜなら、他人の「ドえらい目」は、一番の癒し効果を持つあの言葉、「他人の不幸は蜜の味」が作動するからです。 自分より悲惨な境遇にある人を見たら、それだけで人間は、なぜか力が湧いてくるモンです。 「ん、まだ自分はやれるなぁ」と思ったときが、自分の状態と周りの環境を客観しできた証拠です。 調子が悪くても、『こーいうときもあるもんや、アレよりはるかにマシや』と自然に不調を受け止めるようになれるのが、伝記の効能の1つです。 ちなみにオイラの場合は、「シベリアの収容所よりかは、マシだ」ですw 苦しみや悲しみに注がれているエネルギーを、元気が出る方向に使えるようになるのです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 伝記の効能2:他人の人生をパクる 大体、伝記になるくらいの人は立派な業績があるわけです。そして、立派な業績の裏には、苦労やコストがあるものです。 おそらく、ほとんどの人は「楽して儲けよう」とか「楽して達成しよう」と考えないと思います。 ただ、やり方がわからないというわけですよね。 何かをやりたいのだが、それへ至る道筋がわからず、なんとなくエネルギーを浪費している感じがしているという感情を、多くの人は日々、胸の奥にしまっているのではないでしょうか? そう、伝記は言葉を変えると、大きな目標や立派な業績の達成とその裏にある努力、苦労やコストの関係を述べているわけです。 伝記を読むことは、優良な人生のデータをトレースしているわけです。 人間とは、基本的に臆病な生き物だと考えています。先天的に勇気にあふれている人というのは、どっかアレでアレだと。 幕末期の浪士連中が、自分たちの行動のエネルギーを、楠正成と自分と重ね合わせることでに求めたように、「誰かがやった」という言葉や事実ほど、行動化をしやすいモノもないのです。 また、人生の判断を磨くにも大変、有用です。 伝記を読んで、その中の人物が下した判断の仕方は、これからの判断の連続となる人生の大切な羅針盤になります。 こういう状況のときに、このような判断を下した、というのは、一種の図上演習ですね。図上演習なき軍隊はないように、人生のシュミレーションにも一役買います。 このようなシュミレーションをしていると、厳しい判断・血を流すような判断を下すときにもブレません。慌てません。 「〇〇もやっていたからやろう」、「〇〇もやれたからやろう」という言葉ほど、判断を下す人の肩の重さを軽くするものはありません。 それに、伝記で述べられる人物の大失敗とその結果に何度も触れると、下手を打って、どんな最悪になっても「死ぬことはない」ということがわかります。 伝記を読むことは、ファッション誌や週刊誌、雑誌を読むのと同じです。 人生や生き方、生活のデータを集めているのです。 ただ、伝記を読んで得ることは、「これからの人生の数十年に渡って」役に立つものです。持続的な効果です。 行動の形の前例を得ることで、怯みを捨て、勇気を得ることが出来るのです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 伝記の効能3:失敗に強くなる 大きな業績というのは、だいたい、大きな失敗・巨大な間違いを犯した人が、コレを達成しています。 伝記に載っている人の失敗で、その原因がその人だけに集中することは、ごくまれで、大体の失敗というものは自分以外の原因から発生するものです。 伝記を何冊も読んでいくと、間違いや失敗、調子の悪いことが普通で、うまく行っているときなんてごく僅か、しかも、成功してもまた次に苦難が襲ってくる構成が多いことに気付きます。 良い伝記は、こんな風に読めます。 「またかよっ!」(三村風に) 「またまたかよっ!」(三村風に) −−−−−−−−−−−−−−−−−−− 苦難に遭遇しまくる主人公の境遇を、悲惨やなぁと思いながら読んでいくうちに、こう結論付けました。 「失敗の本質とは、失敗が起きたときにどうそれを利用するか?またはどうカバーするか?」ということがわかるのではないでしょうか? 簡単に言うと、失敗への受け止め方・受け取り方なんです。 失敗は起きます。そしてそのほとんどが、他人が原因です。 しかし、伝記に出てくる人は、その失敗や間違いを犯した、部下や同僚・上司に対し、上手に赦していっています。 人間とは、愛する方法も教わられなければ、愛しかたがわからないように、人の赦し方についても、最初は無知なわけです。 伝記では、どのように赦し、同じ間違いを犯さないようにしているか、の生のデータです。 こういう間違いをしたら、こんな風に叱る。 叱った後は、このようにアフターケアをする。 また上記とは逆のケースで、叱られたときは、こう叱られよう、というデータも得ることが出来るでしょう。 伝記を読んでいくと、他人を上手に赦すことが出来ます。そうしないと、何も物事が進まないことがわかるからです。 何かを達成しようとした人は、必ず人を赦しています。そして、他の人の罪や間違いを赦すことで、地力となる根気が身に付けていっているのです。 伝記を読むことで、人の赦し方を知り、根気を身に付け方を学ぶのです。 最後に 私の好きな言葉は「シベリアの収容所よりかはまし」です。 「人生、山あり谷あり」と、知ってはいるがわかっていないことが、歳を重ねることに多くなっていく気がします。 「あーわかっていなかったのぅ」 伝記の中にでて来る、先人たちのハードな人生に触れることで、ソクラテスのように謙虚な気分になります。 この謙虚な気持ちになれるというのが大切で、謙虚にならない限り、わからないものが多いのが、人間という生物の特色です。 人間という種は、他人の人生から多くを学ぶという、基本的な事実に立ち戻るキッカケを与えるのが伝記の効能として集約されます。 良い伝記にあたると、とても充実した読書タイムが得られます。 好日の一助になればと思います。 土日につまらないテレビばかりでうんざりしたときは、さっと着替えて本屋に行って、適当な伝記を買うだけで、満足な週末が過ごせます。 また、週末の暇つぶしのほか、そのときが人生の袋小路にいるときなら、いくらか光明が見えてきますヨ。 解決の方法は自分から生み出すより、誰かからパクったほうが速いのです。 ま、一応、その解法は、テスト済みですしねw
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