白洲次郎

「葬式無用 戒名不用」この痛快な言い切り文句をどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか? こんなサッパリした遺言を残したのが、白洲 次郎という人です。オキテへのメールはコチラまで。

はじめに-白洲次郎

日本の実業家。貿易庁(通産省)長官、東北電力会長等を歴任。吉田茂の側近として活躍する。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。身長185センチ、容姿端麗、スポーツ万能。カントリージェントルマン。そして 百姓。

(By Wikipediaなど)

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伝記を読む楽しみとは、その伝記の情景中に自分を溶かし込んで、アレコレ想像してみることです。

「そんな難しい判断できたナァ」と、その勇気に感嘆し、ときには、

「バカなやつだなぁ」という思いを馳せるわけです。

しかし、この読み方がうまくいかなかったのが、白洲次郎さんの本でした。

語録や伝記や、資料や書いたものを読んでも、ピンとこないのです。

本当のところ、前文でいいました「葬式無用 戒名不用」という言葉だけを先に知っており、白洲次郎という名前をアタマに留めたのは後でした。

「葬式無用 戒名不用」という遺言は、昔、新聞の小欄コラムで目にした記憶があります。

「ほほーー、うまうこというなぁ」と妙にしっくりしたものでした。わたしにとってもこれ以上、遺言でいいたいことはないもんナァと思ったわけです。

死に臨んで、この鮮やかさが、若い時分には新鮮に写ったものでした。

この新鮮なしっくり感から、10年以上たってから、「白洲次郎」という伝記や語録にめぐり合いました。ホント妙な縁を感じました。

それほど、わたしにとって「葬式無用 戒名不用」という言葉が胸に残っていたのでした。

長年「葬式無用 戒名不用」という言葉がココロに残っていたのは、やはり自分にとって、何か教えるものがあったのでしょう。

言葉というものは、その人を表すものである、と。

白州さんは、おもしろくて味のある人だから、このようなスッキリして湿り気の無い言葉を発することができたのだと思いました。

ホント好きな言葉の一つです。死ぬまで使いそうですわ^ー^

「葬式無用 戒名不用」

好きなエピソード

白洲次郎さんで一番印象的なのは、戦争(太平洋戦争)がはじまったときの疎開のエピソードです。

アメリカとの戦争が始まったとき、「あーこの戦争は負ける、負けるから日本は焼け野原になる、焼け野原になったら食料がなくなる、だから百姓になる」と、 貿易会社をやめ、郊外に土地を求め農業をお始めになられたのです。

カッコイイ実行ぶりだ〜〜と、目を見張ったものです。

なかなか、人は口でグダグダ言うだけで、行動に移さないものです。

「自分の考えに基づいて行動する」という言葉を体現化する、とてもよい例・サンプルではないでしょうか?

アカンと思ったら止めるんだ、それだけのことです。

ええなと思ったらやるんだ、それだけのことです。

でも、なかなか、ホントできないことで、この戦争が始まって田舎に引っ込んだ白州さんの実行振りを読んで、現状のままズルズルグダグダな自分の姿を思い返したものです。

カッコイイとはこういうことである

白洲次郎さんは、吉田茂の側近であったとか、憲法の翻訳の立会人であったとか、政治の世界の人として書かれます。

政治の世界でのエピソードでは、吉田茂のサンフランシスコ平和条約締結時の演説用のアンチョコ(通称トイレットペーパー)が有名です。

あの演説の原稿は、最初は英語だったのを、「日本という国があり日本語という言葉をもっているんだ、そして独立国となったのだ、なんでわざわざ英語でせなあかんねん!!」というわけで、原稿の英語を日本語に書き直させた結果、 トイレットペーパー並みの分厚いアンチョコになったというエピソードです。

白洲次郎さんは、このエピソードが示すように時の総理大臣、吉田茂と懇意でした。総理の側近とも言われており、次郎さん自身が望めば政治の世界でも十分な地位に 登ることができたでしょう。

でも、政治の世界からはスッパリ足を洗います。

白洲さん流にいうと、「用事が終わったから、帰るだけだ」というわけでしょう。

なかなか、これもできることではないですのぅ。

ぱっと出て、用が済んだらパッとやめるというのは、そうそうできないことではないでしょうか?

「白洲次郎−風の男」とはよくいったもので、仕事をやれば、さっとぱっと、執着無く、身を引くのです。

これがいかに大変なことか、お分かりになる方は多いかと存じます。

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ノブレスアブリッジ

白洲次郎さんの子供時代は、大変なものです。基本的にほとんどの人は想像が付かないでしょう。

中学生のときに、白州さんはお父さんから車を与えられます。

これがどういう意味か、しっくり来る人はいないでしょう。

今でいえば、子供にポルシェを与え、ベンツを与えるというようなレベルではないのです。マンションを与える、というレベルですらないでしょう。

当時の「車」という存在は、高級品もいいところで、今でいえば、高校生が、自家用セスナやヘリコプターを飛ばしまくっていたといえます。

大学は、英国のケンブリッジに進学します。在英中に、自動車でヨーロッパ大陸の横断旅行に向かいます。

ホント、今でいうと何に当たるのかわからないですね、この旅行。いまなら、月への旅行クラスでしょうねぇ。。。

こういう、超がつくほどのお金持ちぶりの少年時代を聞いて、最初、「なんだコイツ」とカチンときたものです。

そんだけ金があれば、いいたいことをズバズバ言えるだろうさ、と思ったものです。それほど、普通の人とは、けたけたけた違いの世界だったわけです。

しかし、「風の男 白洲次郎」を読んだときに、フッと、この 捻くれた考えが氷解しました。

本書の中で、「こんな風に、自動車を乗り回すことのできる特権的な生活を、何らかの形で社会にお返しする、還元せねばならない」という使命感の部分 に合点承知をしたのでした。

お金持ちはたくさんたくさんいたでしょうが、皆が皆、白洲次郎のように行動できたかどうか?というわけです。

使命感を持って、自分の高貴な義務を果たそうとしたという記述が、一段上のモノの見方を教えてくれたのでした。

結局のところ、お金があろうが無かろうが、最終的には、人間性というものに還元されていくのだと納得した次第です。

金があっても汚い奴、卑しい奴はいるし、お金が無くても、颯爽とした人もいるわけです。カネのあるなしで一概に、モノを見てはいけないのだと。

カネは無くとも筋は通せるし、カネが無くとも生きていける、というさわやかさを読みながら感じたものでした。

自分なりの原則を打ちたて、ゆれずぶれず生きていったところに、白洲さんの色あせることのない魅力があるのだなぁと思いました。

齢「立つ年」近くになって知るジェントルマン

白州さんという人をひと言でいいますと、「ジェントルマン」です。

そして、このジェントルマンはたいへんカッコイイのです。

新婚のとき、晩ご飯のときに「ネクタイ締めないで御免なさい」と奥さんに謝る人なのです。

わたくし、ネクタイをしめてご飯を食べるという習慣なんて思いもつかないし、それを謝るということにも度肝を抜かれました。

これがジェントルマンなのか!!と目からウロコが落ちたものでございます。

彼のかっこよさは、白州さんの語録を追うと、さらに理解が深まります。

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後年、 白州さんは、軽井沢でゴルフクラブの理事を務めるんのですが、キャディにはやさしく接し、落雷の恐れのあるときは決してプレーを許しませんでした。

ゴルフをする人間が落雷で自殺するのはそれでいいが、キャディをまきこむわけにはいかん、というわけです。

ウン、カコイイ、筋が通っている。

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真冬のロッカー室建設のエピソードも、渋いナァと思います。

ロッカー室の建設のために、コンクリを流したが、冬の寒さのため凍ってはたいへんと、その建設会社の社員の人は、ストーブを持ってきて寝通しで現場の管理を行っていたのです。

朝方、厳しい寒さのもとで、その建設作業を見た白州さんは建設会社の役員を呼びつけこういいます。

「この男は自分の仕事を一生懸命にやってるが、僕は君たちに無理な仕事をやれとは言ってない」

仕事熱心は買うが、凍死する危険を冒すな、という筋の通ったやさしさのお話です。

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「そうです。あの方は御自分のことなど一切お話になりません」

召集令状を受け取っても夫人に召集について話さなかったことを、夫人に話した辰巳氏の言葉です。

言い尽くせぬ人間、白洲次郎

自分の中で、まとまっていないのが「白洲次郎」さんです。

だいたい、伝記を読んでると、たいがい、あーこういうひとなのねぇ、と見当はつくのですが、白洲さんはわたしにとって別格のようです。

なんかじょうずにつかめないウナギのような魅力を持った人なのです。

とにかく、汲み尽くせないものがたくさんあります。おそらく、それらはこれから年齢を重ねるごとにわかっていくものなのでしょう。

ですから、乱文・まとまりのなさはお許しくださいませ。これで精一杯なんでございます。

あと、ちょこちょこ、白洲さんのネタを紹介したく思います。

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夫婦について

奥さんは、芸術・骨董の評論・随筆家として有名な白洲正子さんです。この人もたいしたご夫人で、まーホント、白州さんは苦労したろうなぁと思います。

ホント、おとぎ話からでてきた夫婦のようで、夫は夫で、妻は妻で独立して生きていて、それぞれの生き方を為してきました。

言い尽くせぬ苦労はどんな夫婦でもありますが、晩年、「バ」「ア」「バ」としたためた湯飲みをプレゼントする なんて、夫婦ともにダンディですなと思ったのでした。

ハンコを押せば夫婦になるのではなく、2人の様子を見ると、だんだん夫婦になっていくのだなぁと思いました。

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老後について

晩年の大工、車、ゴルフ、農作業にいそしむ姿もなんともカッコいいものです。すっげー爺さんだなぁと思いました。

大工の腕もたいしたもので、よくできた机や棚を作っています。

老後にいかにやることを蓄積していくか、そんな風なことを白洲さんの行き方を通して大切に感じます。

骨太のデリカシー、目下のものこそ親切に、「PLAY FAST」

白洲さんの晩年の語録を適当に選んでみましたが、こういう言葉をしっくりくる粋な老後にしてみたいものです。

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父、正平

お父さんである正平さんもどえらい個性の持ち主です。

お父さんの豪放磊落の人生もまた、白州さんの魅力のひとつに溶け込んでいるでしょう。 正平さんは、建築道楽で、大工を自分の家に住まわすほど。しかも、建てることのが趣味であり、住むのはどうでもよい豪傑です。

これまた、えらい苦労をしたと白州さんは語っています。

晩年は阿蘇山のふもとの小屋で暮らし、狩をしながら天寿を全うされたとのことです。やりつくした・味わいつくした人生であったと評されていますが、サバサバした生命感は、お父さん譲りかもしれません。

白洲次郎さんの関連書籍

白洲さんの本は、主に文庫本で入手できるので、安く買えます。ほんとうに安い買い物でした。

どの年代、どの性別の方でもおもしろく読める人であると断言します。

ご老齢の方・退職間近の人は老後暮らしの参考に、壮齢は仕事のやり方を、若者は生き方の参考に、女性はいい男の基準として、男性は正しいヨメ選びの参考に、多々の利点があることは間違いなしです。

ぜひ、一家に一冊あっても、みんなが楽しめる伝記かと存じます。

なお、次郎さんの嫁さん、正子さんの本もなかなか読み応えがあってたいしたものです。あわせて読むと、ほんと楽しいです^−^

風の男 白洲次郎

白洲さんの語録を集めたものです。カッコイイしびれる発言が多いです。魅力が伝わる丁寧なつくりで、どのような発言をどのような状況の元で行ったがよくわかります。筆者の青柳氏の力量を感じました。

人柄がしのばれます。

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プリンシプルのない日本

白洲さんが文芸春秋にて連載した記事をまとめたものです。、白州さんの自筆の文章が読むといっそう、そのヤンチャ振りがわかります。これまた、人柄がしのばれる一冊でした。

お父さんの文平さんについてお書きになっているところは、必見かと思います。こういう人おったナァとなんともいえない懐かしい日本人の姿を拝見いたしました。

このお父さんもかっこえーですわ。今にない生きかたです。

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白洲次郎

写真集兼資料集。「ホンマ、ええおとこやのぅ」と思うこと、多々かと思います。ホンマ、背広がこんなに似合う人みて、姿を思い起こしがっくりする次第でございます。

白洲さんのむかしの写真から、持ち物、来ていた服、農機具、大工道具などそのままの姿に迫れるかと思います。

白洲さんのお知り合いのインタビューもおもしろく読めます。ほんと、みんなから煙たがれながら、愛されるべき人格があったのだナァと思えます。

この資料集には、あの有名な「葬式無用、戒名不用」の自筆遺言書をみることができます。御手のほうも流れるような字体で、「風の男」というのも頷けたものです。

この自筆遺言書を見れるだけでも価値があるかと存じます。

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