困ったときの伝記頼り−「人」こそ最強のデータベース

本当のことを言うと、伝記を読む快感は、子供のときよりも大人になってからの方が大きいです。今、あなたが経験している困った事は、大体、昔の人も味わってるんですよ。オキテメールはコチラまで。

はじめに−何故、伝記なのか?

小学生のときには、よくマンガの伝記を読んでいました。最近読んだのは、野口英世のマンガ本で、いま、読み返してみると、凄く面白いんですよ。

野口英世なんて、いまの意味では、ほんま「無頼−BURAI」やで。

渡航費用を、ドンちゃん騒ぎで何回使い果たしてんねん、みたいな。

それでも金を渡す、スポンサーもスポンサーやけどな、と。

あー、でも、このようなお金(大事なお金、しかもスポンサーからもらったお金で自分の金ではない、それも留学費用であるお金)の使い方が、ざっくばらんでこせこせしない精神を生み、偉大な業績を残したのかなぁとも思ってしまうのですよ。

スポンサーが何度も留学・渡航・学問の費用を工面したエピソードも、「あー、人を育てるというのは、ココまで堪忍して面倒を見ないと、莫大な業績を残す人には育たないんだなぁ」と考え直したりするのです。

今考えると、小林先生は偉いなぁ。。。

ま、こんな感じで、野口英世のマンガ伝記を読み直したときに、伝記を読む面白さを味わったわけです。こんなに面白いものだっただなぁと。

全然、昔と受け取り方が違うのです。

ホント。

そして、もうひとつ、伝記を読むことが楽しくなったきっかけがあります。

それは、養老 孟司さんの言葉に触れたときでした。

その言葉は、養老さんと甲野さん、二人の共著で出版された「自分の頭と体で考える:PHP」という本に載っていました。

養老 孟司さんの文章は、言わんとすることがはっきりしてて、なおかつ、わかりやすいので、尊敬している人の1人です。

そんな養老節で、こんなことが書かれていました。

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。。。そういう人には、5万年前の人間の骨格を見せればいいんですよ。あなたと同じじゃないか。どこが進歩しているんだよ、って。。。

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。。。意識の歴史なんて20代の人だったら、20何年しかないんですよ。。。

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よくよく考えてみれば、人間の骨格なんて縄文時代の人とほとんど変わっていないわけです。

変化するのは、「生活の様式」であって、人間の思考や感情なんてそうそう変わらないのでわ、と。

人間の体が変化していないのだから、考え方や悩みなんてものの本質はかわらないだろう、と。

縄文人でも夫婦ゲンカはあったろうし、その原因はやはり浮気とかそういうものであったろう、とw

稼ぎが悪い縄文人の男性は、女房にいやみを言われたろう、とw

女房の方が食べ物をたくさん採集してきて、肩身の狭い縄文人の男性もいただろう、とw

チームを組んで狩に行って、そのチームリーダーとそりが合わず、悩んでいた縄文人もいただろう、とw

容姿が良くなくて、悩んでいた縄文人の女の子もいただろう、とw

彼氏や彼女が出来ず悩んだり、結婚が出来ず悩んでいただろう、とw

大方の人が悩んでいたり、苦しんでいたりする、こういうモンは、どんな時代にでもあっただろう、と考えてしまいました。

自分が今、経験していることなんて、おそらくきっとこれまでの誰かが味わっているだろうし、同じようなことで悩んでいたのだ、と。

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