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東日本大地震・個人でできること3「心を寄せ、見守り続ける」

まずは初めに結論を。一口で言うと。まとめ。要旨。

東北地方太平洋沖地震から、2週間が経とうとしております。

長く、重い、息苦しい2週間です。

ようやく、交通網も元に戻り始め、まだまだ不足はしていますが、だんだんと物資も被災地に届くようになってきております。

しかし、深刻な問題が続いています。福島原発の放射能です。

「食べるな」と大雑把に政府に指定された野菜、牛乳。

作り手である農家、酪農家の方たちは、地震・津波・放射能のトリプルで打撃を被ることになりました。

潰されて廃棄される野菜、捨てられる原乳。そして、風評。

かける言葉が見つかりません。

基準値以下であるのに、返品される葉物野菜の数々に、なんともいいようのない無力感を感じます。

都心・関東圏では、子どもに飲ませられない、ヨウ素入りの水道水が出る事態になってしまいました。

大人には健康に害のないレベルとは言え、気持ちがいいわけがありません。

原発の状況も、まだまだ安堵できませんし、海の汚染も、とても気になります。

東北太平洋側の魚が、2割3割も安くなったと聞いて、何とも、心が痛みます。

被災地では、ようやく被災の打撃から立ち直ろうとしても、次から次へと問題が出てきます。

衆議院議員の小野寺五典さん(@itsunori510)がtwitterで述べられていたのですが、事業主の休業補償の問題1つとっても、凄まじい労苦が透けて見えて、呆然としてしまいました。

従業員のために休業補償を受けようにも、労働者名簿どころか、ハローワークすら波に流されて、「ない」のです。

もちろん、事務所も工場も、車も、船も、資材も、ない。机も椅子も、パソコンもない。

東北地方太平洋沖地震の壊滅的な被害を、あらためて、感じます。

被災地では、これからが、本腰です。

ある方がおっしゃられておりましたが、今からこそ、改めてわたしたち一人びとりが、被災地の人々に心を寄せることが大切であるかと、強く思います。

わたしは今のところ、寄付をするか、思ったり祈ったりすることが関の山ですが、思い祈ることは、決して無力ではないように思います。

このあたりの塩梅は、実に、微妙なところなのです。

嗜好品や遊びを控え、節約して寄付をすればいいのか、といえば、決してそれが正しい解でもないのです。

もし、そうした萎縮した生活をする人が増えると、その人の地場の経済が停滞してしまいます。

そうすると、停滞が停滞を呼んでモノやカネ、サービスが回らなくなって、結果的に、景気が悪くなってしまいます。

こうなると不可避的に、被災地の復興も遅れてしまう、というわけでございます。

よく、頂いた寄付のうち、その額分を上乗せして被災地に寄付をする、という企業・商店がございますが、素晴らしくよくできたアイデアだと思います。

また、今月なり今期なりの売上のうちでいくらかを寄付する、○○が売れた金額のうちいくらかを寄付する、というのもよいアイデアだと思います。

それは、被災に遭わなかった人までもが、萎縮してはならないということを汲み取った、資本主義社会の現代ならではの寄付方法だと考えます。

今までどおりに、物を買い、サービスを購入することが、引いては、被災地の悪化を止めていることにもなるのでございます。

被災地の人たちのことを考えると、何もする気が起きない、というのは、全くよろしくありません。

散歩でもせよ、散歩のための靴やジャージでも買え、数キロ単位で肉でも食べろ、こんなときこそ肉を食え、といいたく存じます。

何も失わなかったのに、意気消沈するのはナンセンスでございます。

被災に遭わなかった人たちが、今以上に頑張って、これからの日本を景気づけていかなくてはなりません。

今、自分に与えられていること、やるべきことに励みつつ、そして、東北と北関東の被災地の人たちに思いを寄せ続ける。

わたしたちにできることは、以上の2点であるように、考える次第でございます。

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