目でも読む

テキストの記述に、まったく手がでないときがございます。

そういうときは、無理やりに読んではいけないのでございます。

正直な話、何が書いているのかさっぱりなのに真剣に読んでも、意味はないのでございます。

まず、頭には残ってきませんし、理解の「り」の字もないまま、時が過ぎ去るのでございます。

そのまま読み続ければ、どんどん頭に靄めいてきて、ストレスは高じていくのでございます。

こうした場合には、読むことよりも、ざっと目を通すことをお勧めする次第でございます。

今すぐに、目の前のテキストの内容を理解しなければならない束縛など、独学にはないものでございます。

初めて目にすることであれば、ざっと、1章なら1章、1単元なら1単元を目通して、何がテキストに書かれているのかがボンヤリわかるくらいで結構なのでございます。

もちろん、ひとつも内容はわからないかと思います。

しかし、そのざっと読みで茫漠としたものでもつかめれば、それでよいのでございます。

精読や熟読というのは、学習の中盤や終盤にさしかかってこそできる読み方でございます。

それまでは、目通し程度の読み方が許されるものでございます。

禅機は身体にあると申します。

人は、腕で考えたり、脚で考えたり、手で考えたり、お腹で考えたりするものでございます。

頭だけで、考えるものではないのでございます。

「読む」という行為も、同様かと存じます。

頭で読めないのであれば、目で読むのも妥当でありましょう。

こんなもんか、こういうことをやっていくのかを肌で感じるだけでも、今後のお勉強への心持ちは変わってくるかと存じます。

試験を呑むといいますか、抵抗感は若干、減じるものでございます。

また、目で読めば、できそうなところや簡単そうなところ、やさしそうなところを発見することでしょう。

そういうところから着手すれば、お勉強もめんどくさも和らぐかと存じます。

お勉強は、ただ苦役に耐えればよいものではありません。

取れる手段を駆使して、できる範囲で進めていくものでございます。

バカな苦役は避けるべし、それが独学なのでございます。

意味のない苦役は

進展にあらず

 

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