随所に主となれ

禅の言葉に「随所に主となれ」という言葉があります。

テキストや問題集が勉強するのではありません。

ほかでもない「わたし」が勉強するのですから、勉強内容に気圧され受身になっていてはいけないというわけでございます。

受身になっていると、問題演習から十分に果実を引き出せられないものなのでございます。

問題演習とは、いわば、本試験という相手を知る作業でございます。

お勉強で解く問題とは、本試験に出た問題、本試験に出そうな問題、本試験で問われてもおかしくない問題ばかりでございます。

本試験とまったくかかわりのないことで問題を作る業者は、そういないかと存じます。いたとしたらかなりの悪質な業者か、器用な業者でありましょう。

わたしたちが解いている問題のどこかしこで、本試験・過去問と繋がっているものなのでございます。

問題演習は、孫子でいう「敵を知り」の理で行うものなのでございます。

もちろん、演習によって知識や考え方を身につけるという面もございます。とはいえ、1番大きいのは、やはり出題の有様を知ることであります。

こういうことが、こういう風に問われるのね、と本試験を把握するのが、問題演習の本質なのでございます。

しかし、受身の姿勢であると、この「知る」がうまく行かないのでございます。

目に見えるところだけで満足してしまい、もう一歩踏み込めないのでございます。

正味な話、「敵」たる本試験の内容を知ると、勉強がどんどん楽になっていきます。

このぐらいのレベルが標準なのね、という基準が出来上がれば、それだけでぐっと不安は小さくなるのでございます。

(本試験なんて)こんなもんかあという開き直りほど、心強いものはありません。こうした境地に到達すると、楽しみながら本試験が受けられるものでございます。

試験のひっかけや問題の出し方、問題の構成までも味わいながら、解答を進めることになるのでございます。

しかし、受身を取り続けると、この楽さ加減を享受できないのでございます。

また、本試験の特有のプレッシャーやひっかけに足を取られ、自分の実力を引き出せられないまま、敗退してしまうのでございます。

本試験というのは、結局のところ、自分がどうするかに話が収斂されていきます。

ですから、有象無象の情勢に心動かされることない練習が必要なのでございます。

仕事が溜まっていたり、流しに大量の洗い物が残っていても、それを克己してお勉強に臨むことで、本試験で動じない心を練っているのでございます。

そう思えば、多少のサボりも良心の咎めが軽くなるかと存じます。

サボリではない

サボリがあるのでございます。

 

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