音に乗せられ学ぶがよい

モーツァルトを聞いた子供は、頭が良くなると申します。

わたくしは事実であろうと考える次第でございます。

またこうとも思うのです、少なくともその子はバカではあるまいと。

なぜならわたしは幼少期、モーツァルトは聞けなかったからでございます。

「聞かなかった」のではなくて、聞「け」ないという文法上の違いに着目頂きたく候。

理由はカンタンで、モーツァルトの曲は、落ち着きのある子でないと聞けないからでございます。

モーツァルトの曲は、単調といえば単調。柔らかい旋律のため、落ち着きない子は聞くことができないのでございます。

「キーーーーーーン!(ほよよ)」とか「ドカーーン!バーン!(ええぃ連邦のMSは化け物か?!)」、「(虎だ虎だお前は虎になるのだ。。。)ダァァぁ!」の如きドッタンバッタンを好む子供に、何ゆえモーさんに耳を貸せようぞ。

いわんや勉強をや、でございます。

お勉強というのは、ずーーんと形容されるような心身の落ち着きがないと、験が少ないものでございます。

要するに集中できない状態ならば、お勉強の進捗いかばかりの事やあるらんというわけでございます。

今となってようやく耳を貸せれるようになったわたくしでございます。

つくづく音楽の効用に思いを馳せるものでございます。

ハードなロックに流行曲では、気が逸らされてしまいます。

しーんとした中でのお勉強も、味気のないものでございます。

後ろに流れる音楽は選曲次第、TPOでございます。

バッハは、モーツァルト同様に、よきお勉強のBGMになると存じる次第でございます。

耳という器官はお勉強中空いているのですから、須らく音色で脳疲労を取るがよろしかろう。

脳にとっては単調なのも酷なのでございます。仕事ナシ毎日ガ日曜日髀肉之嘆、を思い出され候由。

詩歌管弦は士大夫の道、と古人は申しました。

詩も書けず歌も唄えぬ楽器ダメ、ならばせめて選曲眼くらいは磨くが花でございます。

せめて音だけ美しく

音色の世界に鏡なし

 

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