がんばるだけでは貧相

「がんばりましょう」とは、耳になじんだお言葉でございます。

何かあると、「がんばりましょう」と耳にし、そして声に出してしまうのでございます。

しかし、もう、わたくしは、この「がんばりましょう」では動けなくなっているのでございます。

「がんばりましょーー」と、にこやか・元気ハツラツに言われるだけで、何をしたらいいのかわからないのはストレスが溜まるからでございます。

「ちゃっちゃやって」と冷たく言われるも、「〇〇さんは、AAAして。そのあとBBBして報告して」「△△さんはCCCしておいて。おって指示出す」と言われたほうが、よっぽど気楽なのでございます。

「がんばります」は、えてして、エネルギーが空回りしてしまうのでございます。

車の空吹かしは、暖機運転ならよろしいでしょうが、ずーと続ければ「臭い・ムダ・疲労」の愚劣三国志になるのでございます。

わたくしたちが必要なのは、「実理」でございます。

実理とは、やるにあたって、相応の意味が含まれていることでございます。

「がんばる」だけのつぶやきは、つぶやきシローのように朝の露の如く儚いものでございます。

要は、コトバのトッピングでございます。

「がんばる」という前に、うなぎの山椒モドキを振りかけるのでございます。

「今が踏ん張りどき、がんばろう」といえば、ズルズルと下降気味だけど、自分はうまくいってないことが意識できており、たいへん高度な現状認識といえましょう。

「ふっきってやるぞ、がんばろう」だと、イヤナコトがあっても明確にそれを乗り越えていく決意を感じます。

「〇〇まで張り切ってやろう、がんばろう」の〇〇に、ページ数や問題数、時間でもあてはめてやれば、やることが確固としており、やる気がピンと張ってございます。

馬鹿とハサミは使いようでございます。

コトバは単純化してしまうと、自分のエネルギーをキチンと乗せることができないのでございます。

掛け声にも、実理でございます。

太鼓もちは、上手に人を乗せるモノでございます。

乗るも乗せるも、芸・技能でございますよ。

 

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